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2006年4月後半
昨夜遅かった割に早く目が覚める。7時過ぎに起きて、日記を書いたり、Webをアクセスしたり。そのうちなんとなく眠くなってきたので、再び寝る。今度は昼頃目を覚ます。
と、これじゃ昨日と同じだが、実際同じだった。ただ違ったのは、7時に目を覚ましたとき、ゾンビになった夢を見て目を覚ましたことか。右手の傷がどんどん大きくなってきて、このままゾンビかするのだとわかるんだけど、左の手のひらの真ん中にもポツンと小さな傷ができて、ここからもゾンビ化していくことに気づく。ああ、今度は右手からだけじゃなくて、両手からゾンビ化していくんだ、という諦念。夢の中の記憶では、前にも右手からゾンビ化しているんだよね。
ゾンビになりかけて目を覚ますと、寝なおす気がしないもんなんだね。
昨夜というか今朝方、『殺人方程式 〈切断された死体の問題〉』(綾辻行人 講談社文庫)を読了。トリックだけは思い出した。でも、物語はすっかり忘れていたよ。あと、僕が読んでいるのは光文社文庫版だけど、途中でトリックに触れるという注意書きつきの由良三郎の解説を読んだ記憶があった。
ヴィトゲンシュタインの『反哲学的断章 1995年新版』を久々に読んでいたのだが、amazonで検索してみたら表紙の書影も変わっているし、タイトルに副題「文化と価値」とあることに気づく。その『反哲学的断章−文化と価値』は1995年の改定新訳版ということだが、1995年版もその前の版から内容が追加されているので、これももしかして内容が追加されているんじゃないかと気になる。
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午後、HDレコーダーに溜まった録画の整理。テレビドラマを何本かチェックしようと思って。
読書はジェフリー・ディーヴァーのリンカーン・ライムシリーズに戻って、『エンプティー・チェア』を読み始める。『エンプティー・チェア』を含めてまだ三冊ほどライムシリーズがある。
『夢使い』のDVD発売を知る。テレビ放映もするけど、最初からDVD発売前提だったのか。最近って、ドラマでも終わるとすぐにDVD発売するようだけど。
夜は缶ビールと缶チュウハイで酔っ払って、1時間くらい眠った。もっとかな。
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再読だが、ほとんど何も覚えていなかったといえるくらいすっかり忘れていたので、初読も同じである。1989年カッパノベルスでの刊行が最初らしいので、もう18年前の作品になる。なので感想もいまさらという気もするが、やはり書いておく。初読の時の自分の感想がどこかに残っていれば、そのときどう思ったのかも較べてみたい。
トリック重視の本格もので、途中「読者への挑戦状」はないものの、すべての手がかりは提出されていて挑戦状を挿入しようかと主人公に語らせる。これは台詞だけではなくて、あとがきでも作者自身が書いてもいる。読者に推理可能かというと、文章だけではメインのトリックには至らないんじゃないかと思うが、誰が犯人か等は当てられるだけの材料は揃っているといっていい。それからの推理の披露の仕方と、犯人指摘は結構面白かった。
主人公が刑事の明日香井叶(あすかいきょう)と双子の兄弟で大学の哲学科に籍をおく明日香井響(きょう)で、主に響が刑事の叶になりすまして、捜査進め真相に至る。話だけからすると、響が刑事になりすまして捜査をするのなら、別に叶一人が探偵役でも構わないと思うのだが、警察の捜査方法などに沿って物語を進めるのが難しくて考えた苦肉の策なんではないかと想像する。あとがきによれば、主人公を刑事にというのは編集者の意向らしい。
刑事が主人公だと普通なら物語の進行も警察の調査に手順になってしまうが、刑事になりすました素人探偵が現場の状況を再度確認したり、聞き込みをしていくことで、孤立した場所での探偵の推理というパターンに極自然に切り替えてしまっている。
トリックについては、ある種馬鹿馬鹿しい荒唐無稽なものであるが、物語の嘘として楽しめる。それらが死体切断など、提示されている謎の説明に繋がるのは気持ちいい。どうせなら、タイトルは『殺人方程式』ではなくて、『殺人物理学』なんじゃないかといいたいところだが。
どんでん返しとはちょっと違うが、謎が解明されて事件が解決したと見えて、もうひとヒネリあるのもいい。ちょっと予想はしていたが、これで物語全体が引き締まった感じがする。大きなトリックの解明だけだと、トリック小説という感じが強いが、とてもまとまったミステリという印象に変わる。綾辻行人の作品にしては毛色の変わった方だと思うが、完成度が高い面白い作品だった。
[ 『殺人方程式』 綾辻行人 講談社文庫 ]
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自由気ままな生活は、やっぱり生活リズムを狂わせる。もう、生活にリズムなんかないよと嘯いてみても、夜眠くならないのは事実だったりして。もちろん、そんなときは無理に寝ようなんて思わない。だって、眠くないんだからもったいないじゃない。
というわけで、朝までサイトの更新などをして5時近くになって寝る。1時間半、1セット眠れば6時半。ちょうどいいと思って寝たけど、ついつい眠って2セット。8時に起きて出かける。
ということで午後はちょっと眠かった。
読書は『エンプティー・チェア』(ジェフリー・ディーヴァー 文藝春秋)で、ちょうど三分の一くらい。出先での捜査に思うようにいかないリンカーン・ライムが面白い。
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6時半をだいぶ過ぎて仕事が終わる。7時半くらいからやっている映画といえばテアトル新宿の『力道山』だと思い、電車を乗り継ぐ。ただ開始時間に地震がない。7時20分くらいだったかもしれないし、40分くらいだったかもしれない。
テアトル新宿に着いたのはちょうど7時半。入り口の看板の時刻を見ると7時30分。ちょうどいいと地下のカウンターへ急ぐ。チケットを買いながら、タイトルが『力道山』ではなく『ヒストリー・オブ・バイオレンス』であることに気づく。あれ?
映画は予告が始まっている。はてさて、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』ってどんな映画だろう。暴力の歴史? なんかドキュメンタリータッチなんだろうか。映画館の入り口でも看板の時刻しか目に入らなかったので、誰が出てるかもどんな映画かもポスターの印象もわからない、スニークプレビューみたいな感じ。
映画が始まって、クレジットを見ていると、クローネンバーグの名前。あれ、今、クローネンバーグって出ていた? よく見てコミックス原作みたいだ。また、クローネンバーグ、と思ったらデニーズ・クローネンバーグ、衣装。でもクローネンバーグ姓のスタッフがいるというのは、やはりデイヴィッド・クローネンバーグの映画なのか。さらに気にしながら見ていると、ヴィゴ・モーテンセン、『ロード・オブ・ザ・リング』のストライダーとか、エド・ハリスが出てる。そして最後に監督デイヴィッド・クローネンバーグの名前。
クローネンバーグの映画を内容を全く知らずに見ると、怖いねー。地味に、恐怖映像などはなしに淡々進むのだけど、このまま何か起こるんじゃないかとものすごく怖い。サスペンスタッチの展開で、でもなんていうか愛の映画というか。最後ここで終わるんかという重い衝撃。
読書は『エンプティー・チェア』(ジェフリー・ディーヴァー 文藝春秋)は5分の3くらいまで。
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全く知識なく観た。というのも、上映終了を知らずに『力道山』を観るつもりでチケットを買ったのだ。買いながら映画が違うことに気づいた。しかも予告がすでに上映中だったので、そのまま館内に入った。知っているのは『ヒストリー・オブ・バイオレンス』というタイトルのみ。
タイトルからなにか真面目で重いドキュメンタリーか何かだろうかと思う。しかしクレジットを観ていると、ヴィゴ・モーテンセンやエド・ハリスが出てくることを知る。そして、一番驚いたのは、監督がデイヴィッド・クローネンバーグだったということ。ホラー映画を観る心構えをするが、クローネンバーグとなるとかなりえぐい描写も想像できて、意外と心の準備ができない。
冒頭、モーテルの前で車に乗った二人の男ののんびりした会話。だが、もうこの時点でものすごく嫌な感触。一人がチェックアウトしにフロントに行って、戻ってくる。そのあとに二人の会話が、それだけで不気味。「ずいぶん時間がかかったな」「メイドとちょっとトラブってね」そしてその後、その嫌な予感は証明される。
場面は突然変わって、部屋の影にモンスターを見て怯える幼い女の子。それはヴィゴ・モーテンセンの家族だった。ヴィゴ・モーテンセンはやさしい父親、幼い娘と妹に優しい息子、そして奥さんが登場する。冒頭のシーンからこの平和な家族に災難が降りかかるのが目に見えてくる。ヴィゴ・モーテンセンは、コーヒーショップを街で営んでいる。一体冒頭のシーンにどう繋がっていくのかと思っていると、冒頭の二人がヴィゴの店にやってくるのだ。閉店の準備をしているときに現れる男たち。閉店を告げるヴィゴに、なおもコーヒーを注文する男。閉店を繰り返すヴィゴに突然声を荒げてコーヒーを要求する男。嫌でも緊張は高まる。このあたりの怖さはものすごい。
正体を現す男たちと、その後の顛末はあっけないくらい簡単に終わりを告げる。しっかりグロテスクなショットも入るが、そのグロテスクなシーンを強調することもない。このさらりと描かれるのが逆に恐怖を盛り上げる。災難は打ち寄せる波のように静かに繰り返しやってくる。その度に災難という波は高くなり、ヴィゴとその家族は荒波に揉まれ、そしてついにはヴィゴの過去が明らかになる。
物語はホラーではなく、犯罪ものだが、殺人シーンにはホラーのような恐怖がある。そこで描かれているのは、ホラー映画によくあるように愛の物語である。しかし、ここで描かれる愛のテーマは重く、難しいものだ。ホラー映画で描かれる愛は、恐怖に打ち勝ってモンスターから逃げ延びる力だったりするが、この映画のモンスターはいわば主人公の過去であり、愛は逃げ延びることと相反することになる。
クローネンバーグらしいといえばらしいのだが、結末はここで終わるのかとちょっと驚く結末だった。結局は、愛がモンスターに打ち勝った、ということかもしれない。そういう点ではやっぱりホラーらしい。クローネンバーグの映画はやっぱりホラーでしかありえないのかもしれない。
[ 『ヒストリー・オブ・バイオレンス』 テアトル新宿 ]
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終日、セミナー。夜は親睦会のようなものがあって、その後さらに飲みに行く。終電で帰宅、ほとんど沈没するように寝る。
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『エンプティー・チェア』(ジェフリー・ディーヴァー 文藝春秋)読了。続けて、同じくリンカーン・ライムシリーズの『石の猿』を読み始める。
chameさんの『ダ・ヴィンチ・コード』の感想を読んで、なんとなくそんな予感してたなぁと、まだ読んでいないのに頷いてしまう。
そう思ったのは、一つは『ダ・ヴィンチ・コード』の編集者ジェイソン・カウフマンが見出したという、『トラヴェラー』(ジョン・トウェルヴ ホークス ソニーマガジン)が期待していたほど面白くはなかったからだ。『ダ・ヴィンチ・コード』と『トラヴェラー』は、ジャンルが違うようなので、単純に比較できないけれど、『トラヴェラー』の物語の背景にトラヴェラー、ハーレクィン、ダチュラという一族や組織の戦いの歴史があるのに、それが生かされていないというかほんとうに背景で終わってしまっている印象が強い。『ダ・ヴィンチ・コード』も聖書とかダ・ヴィンチの画に隠された秘密が物語の中心なのかと思っていたのだが、最近映画の予告などを見ると現代を舞台にしたサスペンス、ミステリという感じで、聖書やダ・ヴィンチの絵に対する薀蓄でぎっしりというわけではないのだなと思っていた。
chameさんの感想では、暗号などの謎がしょぼすぎるような話が書かれていて、それを読んで適度に高尚なネタを散りばめた単純明快なエンターテイメントなのかなと想像した。でも考えみればそれは当たり前で、そういう単純明快なエンターテイメントでなければ、こんなベストセラーにならないだろうし、映画化もできないよな。
『フーコーの振り子』とか『フリッカー、あるいは映画の魔』みたいなペダンチックな作品を期待していたので、気持ちを切り替えておくことにする。違うベクトルで期待していると、失望するのは当たり前だ。過剰な期待をせずに読んだら、単純なエンターテイメントも好きなので、楽しめるかもしれないし。
映画は監督がロン・ハワードだし、質のいいエンターテイメントになりそうだと思っている。あの厚さで映画に収めるには、逆にペダンチックでないほうが都合がいい。
ところで、これって、chameさんの日記のコメント欄に書きたかったけど、しばらく前から書き込みが本人だと特定できないところには書かない方針を採ってるので、日記に書いてしまった。はてなのidで書き込めば、id特定できると思ったけど、はてなダイアリーの使用申請をしていなかった。コメント書き込み用に、はてなダイアリーの申請しておくかなぁ。サイトの掲示板もこのところ落ち着いているけどスパムが多いので、掲示板を廃止しようかと思っていて、掲示板代わりに利用してもいいかもしれない。コメント専用日記とか。あ、でも日記が先にないとコメントできないか。
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リンカーン・ライムシリーズ第3作である。これまでの2作を読んでいる人なら、ライムシリーズの面白さは納得済みだと思うので、読む前に感想を読もうという人などいないだろう。なので、いつも通りネタバレの配慮などなしで書く。間違って読む前にこの感想を読み始めてしまった人のために、人それぞれ好みがあると思うが、個人的には三作で一番面白かったと書いておこう。
さて、二作目の『コフィン・ダンサー』の見事な騙し技は、多少無理があることが気になったのだが、『エンプティー・チェア』は見事などんでん返しを繰り返してくれる。舞台はノースカロライナの田舎町。脊髄再生の手術を受けにやってきていたリンカーン・ライムの元に、前作登場のローランド・ベルのいとこで保安官のジム・ベルが事件解決の協力を依頼してくる。依頼の内容は、昆虫好きの少年ギャレット・ハンロンが誘拐した少女たちを探しだすことだ。
ライムの付き添いで、アメリア・サックスとトムが一緒にいたものの、いつも証拠分析の助手を務めるメル・クーパーもいなければ、高性能の機器類もない。田舎の保安官たちの集めた証拠類は不完全でかつ汚染されている。そして何より、あらゆる周辺の情報を知り尽くしたニューヨークと違って、勝手の知らない田舎町で分析した証拠の意味を解釈するだけの周辺知識がないことが一番の敵となる。
そんな不利な状況の中でライムがいかに少年と誘拐された少女たちを見つけ出すのかというのが前半の物語である。ありあわせの機器を取り寄せ、クーパーの代わりとして証拠分析など未経験の大学院生を借り出し、アメリア・サックスを使って荒らされた現場から新たな証拠を探し出す。
微細な証拠から少年を追い詰めていくのは、前二作に共通する展開である。ただ、ニューヨークではないというハンデが、パターン化した展開を新鮮に変えている。シリーズものは、パターン化した展開がマンネリ化しがちだが、舞台を田舎町に持っていくことで従来のスリリングさや面白みの種類は変えずにワンパターンに堕さない展開にしたのはなかなかうまい。
不利な状況にいるとはいえ、そしていくら昆虫の生態に知恵を借りた頭のいい少年が相手だとしてもあくまで少年、それと対等にしか渡り合えないのではライムの魅力が弱すぎる。当然のごとく、わずか半分くらいでライムが勝利を勝ち取ることになる。
後半は、本の紹介文にも書かれているが、少年の無実を信じて少年を逃亡させてしまうアメリア・サックスと、それを追うリンカーン・ライムの息詰まる対決である。
このシリーズ、ライム対知能犯との知恵比べが売り物なわけで、いかに賢く魅力的な犯人をライムの敵に持ってくるかというのが重要であることはいうまでもない。前半の「昆虫少年」は今までの知能犯たちと較べるとやはり敵としては魅力が薄い。それに対してライム側にハンデをつけて戦わせたのが前半なわけだが、ライムは不利な状況も乗り越えてしまった。後半戦をライムと対等に戦える相手に選んだのが、すなわちアメリア・サックスと「昆虫少年」のコンビネーションだったというこだろう。
ライムの理解者であり相棒であるアメリア・サックスを敵に据えるというのはいかにも素晴らしいアイディアだが、アメリアはライムの育てたいわば弟子なわけで、アメリアが一人でライムと対等に戦ってしまっては説得力がない。そこへ行くと、「昆虫少年」とアメリアのコンビネーションは敵として不足はない。
「昆虫少年」は地の利と持ち前の昆虫の知識を応用し、アメリアはアメリアで保安官たちを出し抜くいくつかの策略を企てる。
ライムの敵は他にもいる。ライム・シリーズに限らず、最近のこの手の犯罪小説、サスペンス・ミステリでの特徴の一つに、人間関係の軋轢や人組織の利害関係などが犯罪捜査を阻む一種の敵として描かれることが多い。ライム・シリーズでもFBIとの捜査の取り合いや証人保護を巡って、今一歩というところでライムたちに邪魔がはいるという場面が描かれている。
今回もアメリアの逃走援助のために、折角前半で仲間意識が芽生えた保安官たちとの間に、追われるアメリアはもちろん、ライムも信用を失いながらの対決になる。
緊迫感も前二作に勝るとも劣らない。前二作がどちらも殺人犯、殺し屋が、ターゲットを殺す前に手を打たなければならない緊迫感の連続だったが、それに較べて敵をアメリアに据えてしまったため、その点が弱くなりそうだが、それも解決している。
アメリアは少年を救うために、留置場からの逃走援助を始めとしていくつもの犯罪を重ねていく結果になっている。そして少年が本当に無実なのかはだんだんと疑問になっていく。
さらにアメリアを追う保安官たちは、犯人を逃がしたアメリアをほとんど憎しみを持って追いかける。そのほか、犯人を殺すことも辞さない賞金稼ぎの荒くれ男ども、監禁された少女の元に訪れる正体不明の悪漢の登場など、時間との戦いになる危機は二重にも三重にも重なっている。
最後に、サスペンスタッチのミステリだと思っていると、最後には本格的ミステリ的な謎解きがあるという仕掛けは今回も変わらない。しかもどんでん返しの連続になっている。三作で、一番面白いと思った理由はこの後半の立て続けに起こるどんでん返しの部分だろうか。前二作もそうなのだが、これで終わりかと思ったあとのどんでん返しがあると、今までさりげなく書かれていたことが実は伏線だったことがわかる。今回もいろんな謎や真相がわかるまで気に留めていなかったことが、謎がわかるにつれてすべて繋がっていく。最後のタネあかしなどは、思わず最初を読み返してしまった。
ライムシリーズでは、前作に登場した人物がどんどんレギュラー化してくる傾向がある。一方で消えていく人物もあるのだろうか。前作で片腕を失くしたロン・セリットーの相棒だった若い刑事がその後どうなったのか気になっていたのだが、『エンプティー・チェア』でその消息が語られると思っていたのだが出てこなかった。ただ前作で登場したローランド・ジムがロン・セリットーの相棒という話が出てくる。彼は退職してしまったのだろうか。ちょっと気になる。それもまた読者を惹きつけるひとつのテクニックなのだろうか。
[ 『エンプティー・チェア』 ジェフリー・ディーヴァー 文藝春秋 ]
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引き続き、『石の猿』を読む。何が「石の猿」なのかまだわからない。というか、まだ本の数十ページではあるが。
『ボーン・コレクター』『コフィン・ダンサー』が犯罪者の名前だったのに対し、『エンプティー・チェア』は物語に出てくる一種の心理療法の名前だった。今度の『石の猿』も犯罪者の名前ではなさそうだ。
録画してあった「夢使い」第二話を観る。冒頭前の時間帯のアニメが録画されていた。どうも放送時間の延長があったようだ。おかげで、「夢使い」のクライマックス、「遊び」のシーンがすべて録画されてなかった。
「富豪刑事デラックス」第一話を観る。最初のシリーズの「富豪刑事」は観ていないのだが、深田恭子意外とはまっている。「クロサギ」第二話も観る。前回のような不満はなし。
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第1話の展開から予想していた通り、1話完結で最後に夢使いたちが「遊び奉る」というストーリーのようだ。
今回の事件は、病院に入院している女の子のところにたどり着けないというもの。塔子と燐子は病室の途中でくまのぬいぐるみに行く手を阻まれるが、塔子は調子が悪いとあっさり引き上げてしまう。風邪を引いて不調な塔子がピンチヒッターとして呼び出したのは、金曜星の夢使い橘一だった。仲がいいのか悪いのか判らない、燐子と橘一のコンビで再度病室へ向かう。
橘一は無事の巨大なくまのぬいぐるみを潜り抜け、女の子の元にたどり着く。そして、その女の子の元から、彼女が大切にしていたシャープペンの芯を持ち帰る。
塔子はシャープペンの芯を持って、夢殿に籠もる。そして夢を読み解くと「遊ぶわよ」と宣言、三人で「転装」する。夢殿から転装はパターン化されるのか。
録画の手違いでこの転装直後に録画が終わっていた。というわけで、肝心の遊び奉るところを観られなかったので、なんとも評価しようがない。橘一が初登場ということで、そっちの比重が高くなったせいか、前半の物語の方は物足りなかった。遊び奉る部分がどこまで弾けているのかがポイントだったのに、残念。
[ 『夢使い』 第2話「優しい靴音」 ]
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「富豪刑事デラックス」を見る。
いわずと知れた筒井康隆の『富豪刑事』の主人公を女の子に置き換えたドラマ。前シリーズを観ていなかったので、深田恭子でどうなんだろうという疑問を持っていたが、意外に思っていたよりはまっていた。
なんとなく1話完結だと思い込んでいて、これで終わるのかなぁと思っていたら、あっけなく次回に続く。「どうやってダイヤを持ち出したかわかりました」と高らかに宣言して「つづく」となっているが、これがあっと言わせる謎解きだったらいいなぁ。演出からしてだいたい想像つくのだが、その想像と違う結果を見せてくれるのか、まるっきりそのままなのか気になる。あと、京都で同時期に起こった殺人事件も驚くような謎解きがあると嬉しい。こちらも大体想像がついているのだが。
[ 「富豪刑事デラックス」 ]
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第2話は、結婚詐欺師を意味するアカサギを騙す。ターゲットのアカサギは女詐欺師で、その弟は黒崎(山下智久)の昔の友達だった。その弟の方は、黒崎が前回の詐欺で知り合った吉川氷柱(堀北真希)の友達、三島ゆかり(市川由衣)を騙そうとしていた。
前回は、使った騙しのテクニックがプロの詐欺師だったらそれくらい気づくんじゃないか疑問に感じたのだが、今回はそういう不満はなかった。とはいえ、今回も穴だらけで、どうも納得できないところが多い。詐欺師と詐欺師の騙しあいを描いたつもりなのかもしれないが、どちらが勝つかというような緊迫感がない。それとも単に黒崎は三流詐欺師と見せかけて、相手を油断させるもしくはしっかり食らいつくようにしたということなのか。それなら最後の送金のシーンで迷っているのは意味がないし。
どちらの意図にしても、黒崎の意図がきちんと描かれていないから、ただダラダラと話が進んでしまう。
一番困ったことは、最後に黒崎の正体をゆかりが話してしまったり、黒崎自身も逮捕される現場に現れることだ。親友を騙すクロサキの真意ということを描きたかったのかもしれないが、それだと最後の送金の意味がなくなってしまう。詐欺はいずればれるのに最後まで騙し通すのは、カモの前から姿を消すための時間稼ぎなのだから。
原作ではどうなのかわからないけれど、クロサギの正体が黒崎であることはカモにも警察にも知られてはいけないことなのに、そんな基本的なところが守られないとドラマの嘘としても納得しがたい。。
[ クロサギ ]
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早起き。朝から昨日の日記を書いたり、読書をしたり。夕方から出かけるつもりだったが、読書をしていたらだんだん面倒になって、一日引きこもって読書。
『石の猿』を読了。
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リンカーン・ライムシリーズ第4作。以下いつもの通り、『石の猿』を読んだ方を対象に、ネタバレ含めての感想である。特に今回はもう犯人についても書いちゃうので要注意。
ライムシリーズ4作目は中国からの密入国がらみの話で、中国ネタが多い。大体、アメリカなどの作家が中国や日本を絡めた作品はトンデモ本になってしまう傾向があるが、『石の猿』は日本ではないからトンデモない勘違いを見落としているかもしれないが、しっかり取材しているのか比較的無難な線を行っている。もっとも最近は、日本の描写などの多い作品でも昔と較べたらずいぶんましになっている気がする。最近読んだ『トラヴェラー』(ジョン・トウェルヴ・ホークス ソニー・マガジン)でも、日本人や日本での事件が少しばかり出てくるのだが、多少疑問を感じながらもそれほど引っかかるものではなかった。
今回ライムたちが追うのは、密入国斡旋業者の蛇頭、通称ゴーストと呼ばれる残酷な男である。ゴーストの乗る密入国船がまもなくニューヨークに着くというところで、ライムの鑑識と推理により船を見つけ出す。だが、ゴーストは船が捕獲される前に爆破し逃げようとする。しかしゴーストの方にも手違いがあり、予想外に多かった爆薬により船の沈むのが早すぎた。ゴースト自身も金などの荷物を諦め命かながら救命ボートで逃げ延びようとする。一方船室に閉じ込められた密入国者たちは必死に船から逃れようとし、わずか十数名だけが救命ボートで脱出する。脱出した密入国者がいることに気づいたゴーストは逃げ延びた者たちを始末しようとするのだった。
ここからは、密入国者たちを殺そうとするゴースト、ゴーストから逃げる密入国者たち、両者を追うライムたち。ライムたちはゴーストより早く密入国者たちを見つけ出して安全を確保し、ゴーストを逮捕できるのか、というほとんどいつものパターンになる。今回ちょっと違うのは、中国系の警察官や中国人の刑事が参加して、ライムの鑑識現場を混乱したり捜査を助けたりするというところくらいか。
最後のどんでん返しを考えると、冒頭からゴーストの幇手(バンショウ:蛇頭の手下のこと)が消息不明なので、この正体が実は…ということが想像できる。今回はちょっと最初からネタが見えちゃってるなぁと思ったのだが、そこはそこやっぱり意外な展開は見せてくれる。
ただこのタイトルはまずいんじゃないか。『石の猿』を読み始めた頃の日記に、実はこんなことを書いた。
『ボーン・コレクター』『コフィン・ダンサー』が犯罪者の名前だったのに対し、『エンプティー・チェア』は物語に出てくる一種の心理療法の名前だった。今度の『石の猿』も犯罪者の名前ではなさそうだ。
『エンプティー・チェア』はいい。エンプティー・チェアが犯人を指し示す何かではないので。でも『石の猿』の場合、登場人物の一人の持ち物なのである。「石の猿」が出てきた瞬間にまさに犯人を指し示しているのではないかと気づいてしまった。先に書いたように、温厚そうな人物が実は今回どんでん返しに用意している犯罪者なんじゃないかと想像していたのだが、まさにその人物の持ち物だったからだ。まあ、石の猿を持っている人物が幇手ではないかと思っていたら、本物の幇手は死んでいたことが判り、もう一ひねりあったけれど。
このタイトルのつけ方は、森博嗣の『すべてがFになる』に似ていると思った。『すべてがFになる』も、タイトルの意味がわかると三段論法的に犯人まで判ってしまう。ただ『すべてがFになる』は犯人そのものを指しているわけじゃないが、『石の猿』は比喩とかではなくてほとんど直接的なのがなんとも。
今回は全体のネタが割れているので、最後のどんでん返しも想像がついてしまい意外感があまりない。犯人がわかってもまだもう一つ二つ新事実がわかったり、危機が訪れたりというのは今回もあるのだがそれも一つ。それで十分よくできているのだが、あまりにいつも畳みかけるようにどんでん返しの連続というのを経験しているせいか、ちょっと物足りない結末となってしまった。
すべてはこのタイトルに問題があると思うのだがどうだろう。
[ 『石の猿』 ジェフリー・ディーヴァー 文藝春秋 ]
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auのコマーシャルで、仲間由紀絵がラジオのDJに扮して、MY割の説明をするのがあるけど、あれでMY割の質問をしてくるはがきに、「PN.ポンヌフの恋人」って見えたのが気になっていた。
今日、たまたまHDレコーダの録画の整理をしていたら、そのCFがあったので、ちょっと止めて確認してみた。
よくみたら「ポンヌフの変人」って書いてあった。
そんな止めなきゃ見えないようなところに、変な小ネタをつっこむなよ。とかいって、そういう無駄なギャグ好きなんだが。
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日曜日から、ちょっと毛色を変えてビジネス書を読んでいる。『仕事を成し遂げる技術―ストレスなく生産性を発揮する方法』(デビッド・アレン はまの出版)である。よくある仕事の効率をカイゼンするハウツー本の元ネタになっているような本だ。文字がびっしりと詰まっている。
とりあえず昨日一日で一通り読んだけれど、噛み砕いて消化するにはもうちょっと時間がかかりそうなので、引き続き読んでから感想を書く予定。。
今日は『レイクサイド』(東野圭吾 文春文庫)を読む。ジェフリー・ディーヴァーなどを読んだあとには軽くてすらすら読める。
『レイクサイド』は、青山真治監督によって『レイクサイドマーダーケース』として映画化されている。なんで青山真治がミステリを映画化するのかと思っていたが、50ページかそこら読んだところで納得する。それでも最初は半信半疑だったのだが、裏表紙の内容紹介にも書かれていることだった。
何も知識なしに読むとこういう意外性を楽しめていい。半分くらいまで読んで、今後の展開がまだ読めない。
『レイクサイド』は一日で一気に読めてしまいそうだったが、週明けから突然忙しくなり、夜は飲みに行ってしまい、結局半分までで中断。
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朝、雨が降っているので傘を持って出ると1時間後にはピーカンの空。昼前、晴れているので傘を持たずに外出したら、1時間後雨が降り出し雷も聞こえだす始末。タクシーを使う。夜帰るときには雨はあとかたもない。なんて不安定な天気なんだろう。
昨日に引き続き、やること満載。それでも21時前には仕事を切り上げて、夜はまた飲みに行く。終電で帰宅。
『レイクサイド』(東野圭吾 文春文庫)を読了。ジェフリー・ディーヴァーの上下二段の単行本とくらべて、300ページにも満たない文庫本。ボリュームなければ、比較的日常的な描写(殺人とか異常な状況ではあるが)でさらっと読めて、あっけないくらい早く読了。
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『レイクサイド』は、役所広司、薬師丸ひろ子が出演した青山真治監督の映画『レイクサイドマーダーケース』の原作である。
映画の方は観ていないのだが、ミステリと青山真治という組み合わせが今ひとつピンと来なくて、『レイクサイドマーダーケース』の監督は青山真治だと知っているはずなのに、監督の名前を観る度に意外な感じがする。
だが、小説を50ページも読まないうちになんとなく納得できた。湖畔の別荘で避暑と受験合宿を兼ねた四組の親子の集まりののどかで平凡な時間が、ある事件を境に異常な状況に変わってしまう。異常というのは、誰かが泣き叫ぶとか連続殺人事件が起こるとかそういう非日常的な状況ではなくて、むしろ表向きは日常生活をこなすように異常な状況を普通にこなしていくことが異常という、奇妙なシチュエーションが続くのだ。
どういうものが青山真治らしいのかわからないけれど、これはすごく青山真治らしい気がした。
以下、裏表紙の内容紹介よりもうちょっと触れるので、『レイクサイド』を読むつもりの人は注意。
最初にある事件と書いたけれど、裏表紙の内容紹介では書かれてしまっている。あえて、ある事件と書いたのは、自分は紹介文ほどの内容も知らずに読んだのでこのシーンがすごく唐突で意外だったからだ。最初に書いたように、湖畔の別荘での平凡な時間がこの場面から反転するのだ。それまでも主人公−−並木俊介はこの家族の集まりに違和感を感じているし、読者は何か不穏な雰囲気を感じるはずだ。
それでも浮気調査の真相、そこから発展した恐喝とか、そんなものをイメージしていたのだが、内容紹介にあるように俊介の愛人の死体が見つかり、殺したのは自分だと妻がいう。それに対して、他人のはずのほかの夫婦が死体を隠し事件を隠蔽し、俊介の妻を守ろうとする。
全員が協力しあって警察に届けずに事件を隠そうとすることに俊介は戸惑うが、結局は同意してしまう。何か裏があると思うがそれがわからない。これはたぶん読者も同じことを感じるはずだ。僕は殺人は実際にはなくて、何かの理由で他の人たちが俊介を騙しているのだろうと思っていたのだが、その数ページあとには俊介自身が本当に死を確認する。それでも本当には死んでいないんじゃないかと思っていて、身元がわからなくなるように、指紋を焼き顔を石で潰すのを俊介自身が行うところまで読んで、ようやく本当に殺されていたのだと納得した。
そんなわけで、あらすじでこの死を書いてしまうのはちょっともったいないと思う。
いろいろ裏の事情を想像するが、最後にわかる真相は意外と単純である。理不尽な理由がすっきり説明がつく。よく考えるといろんな穴があるが、読んだ直後には思わず納得してしまう切ない結末である。
それにしても、推理小説って最後に必ず犯人がわかるものだと思っていた。犯人が捕まらないとか、物語の中では別の人が犯人とされてしまうとかいうのはもちろんよくある。しかし、読者にも厳密には犯人が提示されない、それでいて不満を感じないという結末はすごい。まあ、犯人提示まで描いたら、軽いタッチのサスペンスミステリではなくて重たい人間ドラマになってしまうかもしれないから、ここで終わるというのは一種の逃げなのかもしれないけど。
[ 『レイクサイド』 東野圭吾 文春文庫 ]
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あるイベントで飲みに行く。夜中にタクシーで帰ってくる。
読書は、最近はまっていたおなじみテレビドラマ『アンフェア』の原作『推理小説』(秦建日子 河出文庫)。
原作の方もなかなか面白い。その上ドラマと較べて読む楽しみもある。ドラマで篠原涼子が演じた雪平刑事の台詞などは、原作とドラマでほとんど同じものが何箇所も出てくるが、篠原涼子の口調がかっこよかったのを思い出す。小説の方も結構気に入りそうだ。
今日のところは半分くらいまで。何事もなければ、明日読了かな。
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6時起床で朝風呂。最近、朝風呂が多い。そのあとWebを見たり、日記を書いたりして、仕事に出かける。
今日もなんやかんや忙しかったが、夕方外出したのでそのまま直帰。電車の中で『推理小説』(秦建日子 河出文庫)を読むが、寝不足でうとうと。残り4分の1だけ、早く帰ってきたので、のんびり読書でもするかな。
その前にまず泡盛。
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せっかく時間があるので、ちょっと買い物でもしようと出かけてみる。久々にリアルなCDショップを3軒ほど廻る。しかし、欲しかったCDは3軒ともなかった。やっぱり大宮だと品揃えは悪い。がっくり。結局何も買わずに帰ってくる。
出かけるときにパラパラと微かに小雨が降っていたので、なるべく屋根のあるところを歩いていく。ソニックシティのビルの中を抜けたら、駐車場にものすごい人数の人がいる。なんだろうと思ったが、ソニックシティホールであったコンサートの出待ちだと気づく。集団を観察したら、氷川きよしの写真を持っている人がいた。
行きはぱらついていた程度だったが、帰りは小糠雨。濡れて帰宅。
『推理小説』(秦建日子 河出文庫)を読もうと思ってたのに、まだ一行も読まないうちに22時。さて、そろそろ読もうか。
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酒を飲みすぎて途中居眠りしながらも、『推理小説』(秦建日子 河出文庫)読了。面白かった。満足。
ドラマ『アンフェア』の雪平刑事がそのまま存在するのにも感動した。雪平他数名の登場人物を除くと、名前は原作から引っ張ってきていてもほとんどドラマのオリジナルといっていい感じで、佐藤嗣麻子(とそのチーム?)の脚本に改めて感心した。
その反面、ドラマで疑問に思っていた部分が、小説では説明のつく記述があったりして、原作を大きく変えたことによる歪みもわかった。それならここもドラマに盛り込んで欲しかったなとか。
という風にドラマをまた思い出していろいろ考えた。『推理小説』単独の感想と、しつこくまた『推理小説』で補足した『アンフェア』論についても書きたいところ。
次の読書は『鳴風荘事件 殺人方程式II』(綾辻行人 講談社文庫)の予定。「殺人方程式II」とあるので、すっかり忘れていた『殺人方程式 〈切断された死体の問題〉』(綾辻行人 講談社文庫)も読み返したし、準備は万端。探偵役の明日香井兄弟が再登場するだけで、物語は前作と関連しなさそうだ。それなのに「II」ってことは、またもや物理トリックってことなのかな、などと想像している。
最近、ミステリ読書日記になってるなぁ。ゴールデンウィークの計画は何も立てていないが、この調子で行くと読書三昧かな。
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月末最終日なのでやっぱり忙しい。
それにしても最近電車がよく遅れる。今日は朝も遅れて、帰りも遅れた。最後の一駅で20分から30分待ったような気がするが、待っている間に眠くなって居眠りしたのでよくわかっていない。
『推理小説』(秦建日子 河出文庫)の感想は書くのに時間がかかりそうなので、先に日常的日記を。時間がかかかりそうでも、頑張って書くことで最近感想を残せているのでほんとはよくないのだが。
予定通り、『鳴風荘事件 殺人方程式II』(綾辻行人 講談社文庫)を読み始めた。100ページちょっと、大体5分の1くらいまで読む。登場人物が揃って、舞台は幕を開けた。
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仕事が立て込んで持ち帰り仕事。今日中にやらなきゃと思っているけど進まない。というか、他のことも停滞気味。仕事をさっさと片付けて好きなことをするのがいいのだが、やりたいことが一杯あってなかなか集中できない。一番よくないパターンだ。
まず朝から日曜の雑務をこなして午前中は終了。昼を食べたあと、パソコンの内蔵CDがおかしいようなので調べたりして無駄に時間を過ごす。
『鳴風荘事件 殺人方程式II』(綾辻行人 講談社文庫)は一行も読んでいないのだが、いろいろ気になる本をリストアップしたり。このリストはリストで意味があるのだが、本を読んでいる場合じゃないと思うから、意味があると理由付けしてリストを作っているのだ。試験の前の日に突然部屋の掃除を始めるのと同じだ。わかっちゃいるけどやめられない。
そろそろ夕方といっていい時間になってようやく仕事に取り掛かる。B.G.M.は明日の日比谷野音のムーンライダーズライヴにもあわせて、『P.W Babies Paperback』など。
仕事が進まないので、ビールなど飲んでしまう。そんなことじゃもっと進まない。なので、晩御飯にしてしまう。当然眠くなる。
結局、休みなのに好きなことを犠牲にしているから、リスト作りなどの屈折した逃避行動をしまう。そんなことなら、時間を決めて好きなことをした方がいい。そう思って、溜まっている今週のテレビドラマの録画から「夢使い」を観ようと決める。「夢使い」なら30分だけだし。ところが最近だんだん原作と話が全然違うので期待が下がっていたのに、今回は「超電導フリスビー」と「ドリーム・サイクロン」が出てきて思わず泣いてしまった。おー凄い。
それで、ついつい原作を確認しちゃったりして、結局30分じゃすまなかった。
気分を切り替えて、風呂に入ってみたけど、寛いじゃって仕事に戻れなくて日記など書き始めてしまった。結局一日かかって、仕事も私用も何も進んでいない感じだ。困った。
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googleでrojixを検索すると、「もしかしてrojid」って出る。つまりrojixという単語が認知されていないからである。うちにはエロ系のスパムメールと共に、よくrolex関係のスパムメールがくる。これって別にうちに限ったことじゃなくて、他の人にもくるんだろうか。
もしかして、rojixとrolexが似ているってことなのかと思っていたら、今日は掲示板へのスパムにreplica watchのスパムが投稿されて笑った。
そういえば、この間はお酒の話題で「おすすめ銘柄」という言葉があったら、株の銘柄のおすすめの書き込みスパムがあった。中身を読まずに機械的に投稿するんだろうな。
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昨夜、仮眠してから再開しようと思って寝たけど、結局朝まで寝過ごした。7時半頃起きて、仕事をする。集中力が続かない。これもまた逃避行動。しかしライヴがあるので、午前中になんとかしないと。
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朝から必死に仕事。午前中にはやっぱり終わらない。とりあえず、12時にパンを買ってきて、コーヒーを飲みながらパンを齧って仕事。13時過ぎに第一弾をメール送信。それから、追記事項送信。さらに続けて、15時少し前に第三弾を送信。14時半くらいには終えたかったが、まあ仕方ない。あとは明日だ。
遅くなってしまったので、ちょっと急いで出かける。何をってもちろん、日比谷野音のムーンライダーズライヴ。今日もライダーズをB.G.M.にしていたが、電車の中でも聴く。仕事モードから十分気持ちが切り替わって、日比谷野音に到着。
いつもなら大体開演ぎりぎりに行くのだが、なんと今日の前座は架空楽団と聞いたので16時15分開場に間に合わせようと思ったのだが、5分くらい遅れる。席は前売を買うのにちょっと手間取って遅くなったので一番後ろの列だった。これなら立ち見でもよかったと思ったが、3時間のライブで16時過ぎから行っていたので4時間弱。座れた方がよかったのでまあいいか。
ライヴは架空楽団の演奏の最後の曲の途中でライダーズの面々が出てきて、楽器をまさにバトンタッチして演奏するという始まり方。そのあとは、いきなりゲストみうらじゅんの登場。そのあとも次々とゲストが出てきて、しかもみんな1曲くらいしか演奏しないというものすごい贅沢なゲスト出演だった。サエキケンゾウ、青山陽一、野宮真貴、曽我部恵一、高橋幸宏、直枝政広、原田知世、PANTA、ポカスカジャン、あがた森魚、遠藤賢司、とか出てきて、みんな一曲とか多くても二曲くらいしか歌わないので順番から歌った曲まで全部覚えてられそうだと思ったけど、今書き出していてわからなくなってきた。全員書き出せたか? いや、誰か抜けていそう。酔っ払ってるから?
まあ、とにかくたくさん出てきて、最後はゲストが全員舞台に再登場して大合唱。いやぁ、なんかすごかった。
一緒に行った友人と食事して帰る。電車の中で、『鳴風荘事件 殺人方程式II』(綾辻行人 講談社文庫)を読む。3分の2くらいまで。
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