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7月後半
■『姑獲鳥の夏』
『姑獲鳥の夏』を観てきた。
実相寺昭雄監督ということで、期待しつつも期待しないという微妙な姿勢で臨んだら、その微妙な期待以上によかったのでほくほくだった。悪い想像としては、とんでも映画になっちゃったらどうしようというのがあったのだが、映像美とか実相寺監督のいい面が表にでていた。
小説を映画化すると一番問題になるのは、小説のキャラクターを誰が演じるかということだと思う。前に配役発表のときにも日記などで書いたのだが、京極堂、関口巽というメインキャラの二人の役者がイメージとあわないと思っていた。実際の映画では、気に入りはしないけどまあいいかなぁと思った。逆に適役だと思ったのは、敦子役の田中麗奈、それから榎木津の阿部寛も違うと思っていたのだけど、実際には結構よかった。
キャラの話で追記しておくと、京極夏彦が出ていた。出たがりなんだろうな。しかも、アノ人の役で、出番もチラリではなくて、何度も出てきたりして。
キャラの話はこの程度にしておいて、それよりもこの映画の最大の焦点である、推理小説にあるべからずあのトリック(というかトリックにもなってない)をどう表現しているかなのであるが、意外と「ふざけんな、莫迦」という風にはなっていなかったのが偉い。
見えるものが見えないというこのシーンをどう表現するかが焦点という話で、「テロップ」で隠すとか書いていたのは殊能先生だったかしら。これを読んだときには大笑いしたんだけど。確かに殊能先生がネタにしたくもなるだろう。だって、ある意味「ハサミ男」以上に映画化不可能といえるのだから。
トリックは別としても、弁当箱サイズの長編なので、映画にするには長すぎると思っていたのだが、意外なことにちゃんと2時間枠に収まった。もちろんだいぶはしょるところははしょっている。それでも、説明不足でよくわからんという風にはなっていない。もっとも、涼子と梗子となんちゃらかんちゃらってくだりは混乱したけどね。
なんで2時間にまとまったかっていうと、つまり『姑獲鳥の夏』は理屈というか屁理屈というか、とにかく理屈で埋まっているような小説だから、それを省くとゆったり2時間枠の内容だったのだろう。
理屈と屁理屈の集大成みたいなところが魅力の原作からすると、その魅力的なところが抜け落ちているとしたら映画としては退屈、というよりそれは既に別の作品ではないかという気もするのだが、意外とそうではない。
京極夏彦作品らしい映画にまとまっていたと思う。
それにしても、ヘラルドもマジチカラを入れている感じがする。この分なら、よっぽどこけなければ、次作以降も映画化されるんだろう。ただ、まだ一週目の金曜日なのに意外と空いていたのが心配だが。
シリーズ化されるならものすごく観たいのは、「魍魎の匣」と「絡新婦の理」だ。『魍魎の匣』の箱の中の少女の映像は見たいよな。でも、かなりやばそうなんで、映画ではシーンはカットされそうだな。
[『姑獲鳥の夏』 新宿東急]
■『宇宙戦争』
『宇宙戦争』は、SFというよりもホラーであり、パニック映画だった。
主人公役のトム・クルーズは、『ミッション・インポッシブル』でのようなヒーローではなくて、離婚して一人暮らし、妻に引き取られた子供を預かってもうまくコミュニケーションできないただのダメオヤジという役柄。別れた妻とその夫が出かける間、息子と娘を預かる。その日、不思議な嵐と雷が巻き起こる。それはただの嵐でも雷でもなかった。宇宙人が地球への侵略を始める前兆だったのだ。
ウェルズの名作の映画化だから、結末はわかってるのに絶望感一杯である。宇宙人と地球人との力の差が圧倒的で、人間は結末までただひたすら逃げるしかない。『インデペンデンス・デイ』みたいに、宇宙人に対抗して攻撃するとかいうのはなくて、ひたすら殺戮されまくるだけだからすごい。いや、後半には軍隊の攻撃シーンも多少はあるけれど、対等な戦いではないのだ。
そして、視点はあくまで激しい殺戮の中を逃げ回るしかできない一般市民の目から描かれている。
『インデペンデンス・デイ』みたいに、圧倒的に強い宇宙人なのに、最後対等に戦っちゃうなんていうご都合主義はない。もっとも、結末がご都合主義といってしまえばそれまでだが。
しかし、本当に絨毯爆撃じゃないけれど、草の根もほじくる様にして一人残らず殺していく中を、ただのダメオヤジのトム・クルーズがなんとか切り抜けていくのが只者じゃないのかもしれないが、観ていて宇宙人が攻めてきたら、俺なんかすぐ死んじゃうなぁ、と思った。
『ジュラシックパーク』(もちろん一作目)の怖さにはかなわないが、背筋が寒くなること数回。そりゃそうだよな。恐竜の殺戮力が100倍になって帰ってきたみたいなもんなのだ。
殺戮力100倍になって、都市もなにもかも壊滅するような場合って、人ひとりひとりの死の恐怖などが描かれなくなりがちだが、スピルバーグだけあって、一人一人の死を見せつけてくる。
怖いのは宇宙人だけじゃなくて、パニクッた地球人も怖い。ホラーであり、パニック映画であるというのはそういうことだ。自分だけは助かりたい群集心理が起こす行動、追い詰められて狂気的に走る人間、そして娘を守るために必死になった人間。
『マイノリティ・リポート』は、いろんなオマージュやパロディが含まれていると思ったけれど、この『宇宙戦争』は他ならぬスピルバーグの映画のシーンを思い出すものがたくさん含まれていた。
例えば、最後の方で、宇宙人の攻撃してくる乗り物に捕らえられるシーンは、「A.I.」のロボット狩りを思い出した。まるで、ロボット狩りをした人間たちにも同じ思いを味わってみろって言っているようだ。
触手のようなものがトム・クルーズたちを探しに来るところは、『マイノリティ・リポート』のスパイダーの巨大版みたいだった。
宇宙人の乗り物は殺戮力が100倍になった恐竜のような気がするし、光輝く乗り物がヴォーッって音を立てるのは『未知との遭遇』の光に包まれた宇宙船とメロディを連想する。こじつけっぽいかもしれないけれど、スピルバーグはきっと意識して作っている気がする。
ちょっとやりすぎかなぁと思うのは、娘役のダコタ・ファニングがパニックになってキャーキャー騒ぎすぎるところ。とはいえ、よくよく後から考えるとあれ演技なんだよなぁ。ダコタ・ファニング恐るべし。でも、あんなにキャーキャーしない方が絶対怖いんだが。
[ 『宇宙戦争』 監督スティーブン・スピルバーグ 新宿オデオン座 ]
■『図書室の海』恩田陸
作者あとがきによれば、長編や連作をメインにやってきたので、初めてのノン・シリーズの短編集だという。といいながら、本当にノン・シリーズかというとこの中には、『夜のピクニック』の予告編「ピクニックの準備」など、本編に関連するサイドストーリー的な作品も収められている。解説の山形浩生は映画の予告編に例えて評していて、ここにバベルの図書館のごとき無限の物語の可能性を語っていておもしろい。
この予告編の作品は本当に予告編で、「ピクニックの準備」が書かれた時にはまだ『夜のピクニック』は雑誌連載も始まっていないのだった。「イサオ・オサリヴァンを捜して」の本編だという『グリーンスリーブス』など、いまだに書かれていない。予告編の効果は抜群で、これらの短編自体も魅力的なのだが、これが予告編だと聞いてしまうと、本編が読みたくてたまらなくなってしまう。
その結果、期待はずれになってしまう可能性もあるが、『夜のピクニック』では見事本屋大賞を受賞するなど期待を裏切らない結果になっているようだから、なおさらまだ書かれていない作品が気になる。
予告編という書き方をしていないが、長編版を書こうとしているらしいものとしては、「オデュッセイア」がある。これなどもすばらしくて、この短編だけでも満足したのだが、これの長編があるなら、そりゃもう読みたいと思わせる。表題作の「図書室の海」は、『六番目の小夜子』の番外編で、これは逆に『六番目の小夜子』や『象と耳鳴り』なんかを読み返したくなった。「睡蓮」という作品も番外編的な作品で、『麦の海に沈む果実』の水野理瀬の幼年時代のエピソードだという。
これ以外の作品は独立した作品だが、山形浩生の説を採ればこれらもまた別の物語になる可能性がある。その中では、最初に収められた「春よ、こい」が気に入っている。時間もので、とても好きなパターンの話だ。どうしても比較して話したくなる小説と映画があるのだが、それについてはこの場では控えよう。
恩田陸はこの作品について長編の可能性について書いていないが、できることなら長編として生まれ変わったものを読んでみたいとこちらからリクエストしたい作品だ。
この短編集を読んで、次に読もうと思っていた本をやめて、恩田陸の長編が読みたいと思ってしまった。なかなか魅力的な短編集だ。
[ 『図書室の海』 恩田陸 新潮文庫 ]
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