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8月前半
■『亡国のイージス』
映画と原作は別物であると思っているので、映画と原作が大きく違っていても文句はいわない。むしろ大きく違っていることを望む。その方が、原作とは別物だと考えやすくなるというのもある。ただ、原作から生まれた別の物語の出来があまりに悪いと、今度は逆に原作との違いが気になってしまう。そのまま映画にすれば面白いものをなぜわざわざそんな風にぶち壊していくのかと思ってしまうのだ。勝手な話ではある。
『亡国のイージス』についていえば、全く原作とは違ったものになるだろう予測していた。そもそも、原作がちょっと厚めの文庫本2冊である。普通の文庫本1冊でも2時間の映画にするのはかなりきつい。僕が思うに、小説の内容にもよるけれど、原作に忠実に作ったら(忠実に作る必要はないのだが)、文庫本1冊なら6時間になると思う。上下2巻だと12時間だ。それじゃまるで年末の時代劇スペシャルじゃないか。それを2時間の映画にするなんていうのは絶対無理である。
阪本順治監督だし、最初から忠実な映画化など考えていないだろうが、それにしても12時間分のドラマをどうやって2時間の映画に収めるのだろうかと思っていた。原作と違うといっても、話の本筋をある程度抑えていなければ、映画化ではなくなってしまう。そんなわけで、どう映画化されるのか興味もあれば、期待も強かった。そして、実際に観た『亡国のイージス』は、期待を裏切らない面白い映画だった。
とにかくストーリーは大胆にカットされている。原作からカットされている部分も多いのだが、映画自体も無駄な説明を大幅に削り、前半「いそかぜ」が反乱を起こすまで、スリリングな反面、何が何だかわからないというような感じもする。断片的に描かれる事件の背景は、それぞれに関連性がなく、何かがあるという緊張感だけが高まっていく。そして「いそかぜ」の反乱をきっかけに、それらの断片が繋がっていく。それだけに、繋がった瞬間のカタルシスがものすごい。
原作を大胆にカットしている一方で、女性工作員チェ・ジョンヒの存在は残されている。しかし2時間程度の中に、ジョンヒとホ・ヨンファの関係を描く時間などなく、ジョンヒと行との関係も説明されない。断片的な過去のシーン、一枚の写真、不可解な行動、原作を読んでいないとクエスチョンの嵐になりそうなシーンが続く。その割りにジョンヒの存在は、ストーリーの本筋とは関係がない。
ジョンヒの部分もすべてカットすべきだったんじゃないかというのが映画を観ていたときの感想だ。
それ以外は、あれだけ膨大なストーリーをよくもここまで盛り込んだというくらい盛り込んでいる。原作を読んでなくても、原作の雰囲気はかなり味わえる。ジョンヒのエピソードを残したことに疑問に思っていたのだが、最後の方でこの映画は原作を読んでいなくても映画として完結してはいるが、実は原作を読んでいてこそ楽しめるようにしていたのだと思い始める。阪本順治監督は、たぶん原作を気に入っていて、原作を読んだ人にこそ楽しめる映画にしたい、あるいは映画を観た後に原作を読んだならまた映画を観て欲しいと思ったのではないか。そう考えると、ジョンヒのエピソードが逆に生きてくる。
原作を読んで楽しめる作りにしてある思ったのは、事件が終結したあと、宮津の妻の墓参りのシーンがはいったときだった。
そのときに、ダイス渥美の歩いているカットが入る。映画を観ながら、あの場面が描かれるのかと思ったが、渥美と宮津の妻は会うこともなく、単なる墓参りのシーンとして終わってしまった。渥美の歩くカットは、事件その後の関係者のそれぞれを見せる断片的なカットとして機能していた。しかし原作を読んでいる人には、このあと渥美と宮津の妻が言葉を交わすことを思い浮かべたはずだ。
原作の描ききれないエピソードをただカットするのではなく、ちょっとしたシーンを残すことで原作を読んでいる人には物語がさらに広がるという仕掛けになっているのだ。
話は変わるが、映画を観るだいぶ前に柳下毅一郎氏の日記で、「活劇的見せ所をすべてすっ飛ばしている映画」、どう考えても阪本監督は意図的だろうと書いているのを読んでいた。でも十分面白いとほめてもいたけど。そんなわけで、アクションシーンが少ないのかと思ったが意外とそうではなかった。
確かに冒頭、車の事故、飲み屋での喧嘩など、実際の事故や喧嘩をすっ飛ばしている。そういうことを言っているのだろうか。原作の処理の仕方としては、それほど違和感は感じなかったのだが。
もう一つ柳下氏がいっていた「手旗信号の場面には笑いました」というのは全くの同感。原作だとすごくシリアスなシーンなのだが、いや、もちろん映画でもシリアスなんだけど、なんていうんだろう、デジタルって莫迦っぽいんだね、とだけ書いておく。ほんとに笑った。
[ 『亡国のイージス』 監督阪本順治 新宿松竹会館 ]
■『メノット』
『メノット』は、ちょうどレイトショウの始まる時間ということで観に行き、映画のタイトルすら映画館の前で初めて知った映画だった。ポスターには、長椅子に座った二人の女性。なんとなくホラー的なイメージがある。
監督が、『富江』『多摩川少女戦争』などの作品を撮っている及川中監督とある。映画が始まり、『メノット』というタイトルが出ると、そのロゴに手錠が絡んでいる。ホラーではなく、犯罪ものか、もしかしたら監禁かなにかをテーマにした作品なのだろうかと思う。
映画について何の情報もなく観るというのは、映画の観方としてとても幸福な観方だと思うが、始めのうちちょっと戸惑ったのはホラーなのかミステリなのかわからないところだった。そんなことは気にせずに愉しめばいいのだが、大抵冒頭の部分で映画のある種のトーンがわかってくるのだが、この映画については皆目見当がついてこなかったのだ。この後の展開がどうなるのか全く想像がつかない。もちろん、その先が見えないというのは、面白さに繋がっていくのだが。
二人の姉妹、姉の夫、妹の彼氏、謎めいた二人の修理工、父親、張り込みをする刑事、仮面の男、死んだ愛犬の墓、強請り、盗撮、殺人。物語が進むにつれ、複雑な人間関係が明らかになり、謎めいた出来事はさらに謎めいていく。叙述トリックのようなフェイクの多い展開で、騙し絵みたいな面白さのあるミステリになっていた。
辻褄の合わない部分も多々あるが、それも愛嬌。なんだかフランスミステリみたいな映画だった。
[ 『メノット』 監督及川中 テアトル新宿レイトショウ ]
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