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2002年8月前半
8月になった。6月末に、今年も半分終わってしまったのかと思ったが、また一月過ぎてしまった。そして今月末で40歳。高校生のときに、40歳まで生きればいいと思っていて、それまでの計画を立てたはずなのだが、何も実現しないままその歳がやってきてしまう。
ちなみに、最近のニュースで聞いた日本人男性の平均寿命は77歳だとかいう話だった。平均寿命的に考えてももう人生は半分終わってるんだな。
MY CITYのHMVとtower rocordに行く。新宿のHMVはいつもMY CITY店を利用していた。駅のすぐ上なのが便利だから。この間、タカシマヤタイムズスクエアで映画を観た帰りにタカシマヤにあるHMVに寄ったらずっと広くて品揃えも多くて、それ以来MY CITY店は物足りなく感じる。でもタカシマヤタイムズスクエアは遠すぎる。
tower recordも駅の上なのだが、南口にあるというだけでちょっと遠く感じて、10時を過ぎてHMVも閉まったときくらいしか行かない。南口でもABCには行くのに何故だろうか。もしかしたら店内のディスプレイが微妙に好みに合わないのかもしれない。それとも単なる習慣か。
しかし今日はtower recordで買い物。CDは『胎児の夢+蝶の棲む部屋』(佐井好子)と『セシルのブルース』(小島麻由美)を買う。DVDコーナーで、ロシアカルト映画の『火を噴く惑星』があるのを見つけて思わず購入。これはロシア映画の映画祭などでタイトルを知り観たいと思いながら予定がつかず観られなかった映画。オリジナルマウスパッド封入とか。それと、ドニー・イェンの『ドラゴン電光石火'98』を見かけてどうしても欲しくなり購入。こちらも未見。
大宮まで電車の中で熟睡。電車を乗り換えたら、車内の床上がかなり濡れていて驚く。気持ち悪いと思っていたが、どうやら眠っている間にもの凄い雨が降ったようで、傘から垂れる滴などで濡れただけのようだった。理由がわからないと、ただの水でも気持ちが悪いということに気づく。不思議だ。電車に乗るが、電車は一向に走り出さない。激しい雷雨で停電になり、電車が各駅で停車していて運行できないというアナウンス。結局20分くらい待ってようやく動き出す。
駅から家まで歩く間、東の空が赤っぽく明るくなって稲光が横に走っているのが見える。あまりに凄いので、デジカメで撮ろうとするが、シャッターを押してから撮るまでの時間差があってタイミングが合わない。その稲光と道路の水たまりで、雷雨が凄かったらしいと知る。すごくついていた。
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夜、送別会がある。かなり激しい飲み会となる。一次会は単に居酒屋で宴会予約で飲み放題だったのだが、がんがん飲みましょうみたいな雰囲気でワインをがぶがぶ飲んで結構廻った。ワインなんてがぶがぶ飲むもんじゃないのに。
続けてカラオケ。このあとの事態を回避するためにたぶん意図的に逃げた人もいるみたいで、9人から5人に減る。もうそんなに若くない人ばかりなのに、妙な盛り上がり。12時くらいに終わったが、もう一軒というお声がかかり、主賓だった人に僕ともう1人が連れられて、3人で溜池辺りへ。これが一次会で雲隠れした人たちが恐れていたことに違いない。しかし金のある人の行く店は違う。いわゆる高級クラブというやつなのか。暗黙の了解でごちそうになってしまったが、いくら取られたのか想像もつかない。
2時半過ぎに店も終わる。タクシーで2人ともタクシーで帰るが、タクシー代に2万近く払うのがばかばかしい。2万円あったら何冊本が買えるだろう、と思って六本木に行ってABCで始発まで時間を潰す。前に一度行ったSO BARに行ってみようかと思ったが、場所を探しているうちに閉店の時間が近いことに気づいてやめる。タクシー代分くらい思いっきり買おうかと思っていたが、結局何も買わなかった。
始発で家に帰り、7時頃寝る。
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今朝帰ってきたときには死ぬほど眠かったが、意外に気持ち悪かったりはしなかった。グッスリ寝て起きたら、二日酔いもなく気分良く目を覚ます。アルコールはすっかり分解して、すべて脂肪になったのだろう。まったく。そういえば、健康診断の再検査結果をまだ訊いてなかった。
昼を食べてから、『ドラゴン電光石火'98』を観る。いやぁ、ドニーさん格好いい。アクションもいいけど、二枚目だ。でも、アクションをスローモーションにするタイミングとか、カットの繋ぎ方がなんか好きになれない。話の繋ぎもなんだかぶつぶつ切れている感じでちょっとなぁ。
そのあと『スパイ・ゲーム』の特典映像を観ることにする。再生中にマークが出てきて、そのマークが出ているうちにボタンを押すとインタビューとか撮影シーンとかが再生されるというやつ。でも半分くらい見るうちに、その特典映像を見るより本編を観る方に夢中になってしまい、そのうちにマークが出てきてもボタンを押さなくなる。結局、『スパイ・ゲーム』を観るのは続けて三回目になる。
夜、テレビで『ジュブナイル』をやっていたので観る。以前、『ジュブナイル』の宣伝番組で、特撮シーン中心に紹介していたのだが、最後まだこれからいろいろあるみたいな説明だったのに、今回観てみたらもうそのあとはほとんど終わりに近かった。残り20分程度だったと思う。結局、その番組は特撮シーンでほとんど映画の内容を見せてしまっていたことも判る。ひどい話だなぁと思う。映画自体は、『ジュブナイル』というタイトルに相応しく、ジュブナイルSF的で面白かった。
そのあと3日分のうたかたの日々を間に多少時間をおきながら書く。金曜から読書停滞中。
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昼頃起きる。
江國香織原作の『落下する夕方』を観る。少し前にDVDになったのを知っていたのだが、この間原田知世のライヴのときに、即売していたので買ってきた。よかったけれど、あくまで原田知世の演じるリカの失恋の物語になっている点が不満だった。菅野美穂の演じる華子の物語でもあるはずなのだと思うのだ。
夜、夕食後非常に眠くなり、7時半くらいから寝る。11時過ぎに起き出して、いろいろ始める。いつまで経っても夜型が続く。今は午前3時。
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江國香織の小説の映画化である。監督は『幻の光』のプロデューサーだった合津直枝で、合津直枝の監督デビュー作になる。梨果(映画ではリカ)を原田知世、華子を菅野美穂、健吾を渡部篤郎が演じている。
原作は、江國作品の中で一番好きな作品で、うまく整理がついていないのだけれど、華子という存在がとても好きだった。映画は、原作に持っていた印象からすると、華子の存在がはかなすぎる気がした。菅野美穂の華子が、華子らしくないのではなくて、逆にとても華子らしくてよかったのだが、彼女の舞台からの退場の仕方があっさりしすぎているというか、もっとポッカリと穴が空いた感じがしてもいいはずなのにと思った。これでは『落下する夕方』は梨果の物語でしかないではないか。
原作の『落下する夕方』は、語り手は梨果だが、華子の物語でもある。そして、僕にとっては、梨果の物語というより、華子の物語だった。読む人によって別にどちらの物語としても読んでも構わないだろうし、解釈は自由だと思う。しかし、同じくらいの比重で二人は存在していたはずだ。
久しぶりに原作を手にしてみたら、忘れていたのだけれど文庫版の解説を合津直枝が書いていた。その中で「ひとりの女性がゆっくりゆっくり時間をかけて失恋してゆく物語」と表現していたことに違和感を憶えたことを思い出した。この表現だと梨果の物語であって、華子の物語が抜け落ちているではないかと思ったのだと思う。映画で感じた不満は、この違和感がすべてを表していると思った。
DVDに収められていた合津直枝のインタビューで、二人は裏返しの存在であるように言っていた。映画の中では月の表と裏側という表現を使ったとも言っている。また見直すと違う印象を感じるかもしれない。原作も読み返したくなってきた。
(『落下する夕方』 監督合津直枝 DVD 2002/8/4)
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読書が全然進まない。まだ『ウロボロスの基礎論』(竹本健治 講談社ノベルス)を読んでいる。読むのが遅くなったわけではなくて、絶対的に読んでいる時間が少なくなっている。土日は全く読んでなかったし。ただ、まともに読むのではなくて、手元にある本をパラパラと拾い読みしたりはする。机の脇に置いてあった本やDVDを片づけていたら、いつの間にか『瞳子』(吉野朔実)を真ん中辺から読んでいたとか、映画『落下する夕方』を観たあとに、『落下する夕方』と『きらきらひかる』を拾い読みしていたり、という感じ。
とりあえず、先月までの忙しさはなんとかヤマを超えたのに、読む時間が少ない理由の一つは飲みが多いのかもしれない。今日も10時くらいから中華料理店で1時間ちょっと飲む。飲むと眠くなる。そうだ、そもそも睡眠時間が少ないので、うっかりしてると本を読んでいるうちに眠くなるのだった。でも、今週はすでに飲み会が2回ある予定である。『ウロボロスの基礎論』はいつ読み終わるんだろう。
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最近少し余裕が出てきたので映画を観に行こうと思い、いつも公開終了間近に慌てていくので、公開されたばかりの映画を観に行こうと思ったのが、そもそもの間違いだった。先週土曜から公開したばかりの『TOKYO 10+01』をテアトル池袋に観に行ったのだ。レイトショウにしては始まりがやや早い20時40分上映開始。
加藤夏希が出ているアクション映画で、内容が訳も分からずゲームに参加される11人の物語。11人はそれぞれ犯罪の過去を持っているが、このゲームでハンターからうまく逃げ、11時間以内にゴールすれば賞金と過去の悪事が精算されるという。単純な娯楽映画として面白いかもしれないと思った。そのときに、監督がHiguchinskyであると知り、『うずまき』の監督だと気づいたときにちょっと嫌な予感がしたんだよなぁ。
しかしそんなことは忘れて、ほとんど何の知識もなく観に行った。意外に客が多いのでちょっとびっくりしたのだが、女の子が多いことに気づく。どうやら安藤政信目当てのようだ。安藤政信って、そんなに人気あるのかと思いつつ、映画の始まるのを待つ。そして……。導入部分で席を立とうかと思ったよ。妙な映画を観たくなる癖を直した方がいいかもしれない。
映画のあと、食事をしていなかったので何か食べようと思う。西口の方がいいかと思って駅の反対側に出るが適当な店がない。池袋ウェストゲートパークの辺りを通り、昔よりずっと綺麗になってしまったと思う。小説を読んだときに思い浮かべたのは、昔知っていたイメージだった。夜だともっと怖いイメージがあったのだが。
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11人の登場人物たちが、次々と紹介されて始まる。番号と通称、そして特徴と犯罪歴についての説明があるのだが、その間流れるのは最初だけ実写でそのあとへたくそなアニメというかイラストに変わる。昔懐かしい犯罪テレビドラマものというか、ちょっとアニメ風のノリでここでこの雰囲気に入れればいいのだが、どうも恥ずかしさが先立つ。
そして、「NEO TOKYO 2xxx」の文字。近未来の都市風景、真ん中で折れた東京タワー。この都市の発想の貧弱さにリアルさの足りない都市。NEO TOKYOというベタさ加減。そして、廃墟のような場所に倒れる男女たち。主人公らしきスネークにキャメラが近づくと、モノクロームの森のシーンに変わる。彼の夢のシーンであり、そこで起こる衝撃的な出来事で彼が目を覚ます。
そして、次々と目を覚ます男女たち。そこに現れるのは篠井英介扮する組織の男。なぜここに君たちがここに集められたのか説明をしようと言って始まるのは説明ビデオである。スクール水着を着た女の子が子どもに何かを説明するようにゲームのルールについて説明を始める。何かに似ているではないか。『バトル・ロワイヤル』の宮むービデオみたいだ。というか、首輪の変わりに手首に特殊なブレスレッドをつけられているとか、なんだか設定が似ている。台詞の中に「深作欣二ファンの〜」という言葉が出てくるので、わざとというかパロディなのだろうが、全然笑えない。
それに加えて、ビデオの説明のひどさ以上に、11人の登場人物たちのキャラが無茶苦茶でひどすぎる。篠井英介も頭のてっぺんから出すような声でオーバーアクション。なんかもう、この説明ビデオを見ているうちに嫌になってきて、観るのをやめようかと思ったくらいだ。
『うずまき』も変な映画だと思ったが、そのときは初音映莉子の演技がだめなので、演劇調にアレンジしてごまかしたのかと思っていたが、わざとやっていたのだろうかと思った。Higchinsky監督はこういうノリが好きなんだろうな。あきれて苦笑は漏れても、面白くはなかったなぁ。というか、なんか観ていて非常に辛かった。
最後にネタバレになるが書いてしまうと、タイトルが「10+01」となっているように、実は『バトル・ロワイヤル』版『11人いる!』である。でも、最後のオチというかどんでん返しというか、それも全然意外じゃないし、とほほである。
ただ、加藤夏希だけは、可愛かった。しかし、この子、年齢通りに全然見えない。
(『TOKYO 10+01』(TOKYO ELEVEN) 監督Higuchinsky テアトル池袋レイト 2002/8/6)
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人前で喋るのは得意ではないが、自分の得意分野であればそれなりに話せる自信があった。しかし、今日久しぶりに説明をしていて、要領は得ないわ、喋り方は歯切れが悪いわ、なんか自信喪失。なんていうか、口の中でもごもご喋って、何言ってるか判らないような喋り方をしてしまう。歳かなぁ。嫌だなぁ、喋り方に歳が出てくるなんて。
夕方から外出。6時半には躰が空いたので、映画を観に行くことにする。チケット屋に行って、上映している映画を確認していたら、今日は映画サービスデーだということに気づく。昔なら第一水曜日は、最初から予定を考えていたのに、存在自体を忘れているとは情けない。昨日の『TOKYO 10+01』が大失敗だったので、せめて『スターウォーズ エピソード2』あたりのメジャーどころで選ぼうかと思っていたのだが、混んでいそうなのでやめる。サービスデーはだいたい映画館で選ぶのだが、銀座にいるときはニュー東宝シネマやちょっと遠いが東劇が穴場。ニュー東宝シネマで、『アイス・エイジ』をやっていたので、これを観ることにする。なかなか楽しくてよかった。
映画のあと、行きつけだった蕎麦屋に行く。もう半年ばかり行っていない。仕事先が変わって帰り道ではなくなったのが一番の原因だが、深夜12時くらいまでやっているので寄り道は可能だった。しかし、その寄り道するだけの余裕がなかったのがもう一つの理由。久しぶりに暖簾をくぐると、お久しぶりって感じで歓待を受ける。いつもなら二合くらいでやめておくのに、三合飲む。そしてやっぱり蕎麦がうまかった。映画を観て、蕎麦を食べる。ううむ、幸福。
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マンモスとナマケモノと虎の三匹がひょんなことから人間の子どもを拾ってしまい、奇妙な旅をするというCGアニメーション。冒頭のエピソード−−小動物が自分の大事なドングリを氷の下に無理矢理埋めようとしたら、氷にひびがはいり、そのひびが高い氷の山にまで届いて崩れてきて、小動物が逃げまくるという部分は、映画の予告でまるまる流れていた。これが結構おかしかったので、印象に残っていて観るきっかけになったのは事実だが、予告でこの冒頭をまるまる流していたとは結構大胆というか、太っ腹だなぁと感心する。というのも、ある意味じゃ一番CG的に面白かった部分かもしれないからだ。
しかし、帝都で陰陽道と式神とかを絡めて戦う特撮映画と違って、なんだ面白いのは予告のところだけじゃないか、ということはなかった。結構、要所要所では客席からも笑いが出ていたし、一緒に心地よく笑えた。話はコミカルながらヒューマニズムあふれるストーリーという感じなので、普通のアニメだったらちょっと物足りなかったり鼻についたかもしれないが、CGアニメっていうのが新鮮だった。もちろん、CGとコミカルなストーリーがマッチしているから楽しめたのだが。
人間の顔はわざとだとは思うがいびつだし、虎のデザインは個人的にはあまり好きではない。マンモスは普通だが、驚いたときに目をまん丸に開くのは好き。ナマケモノのキャラは、この映画のキモだと思うが、やっぱり面白かった。でも、一番面白かったのは、冒頭でも出てくるリスかなにかの小動物で、あくまで脇役でしかないのに、只ひたすらドングリ命っていうだけのキャラなのに面白かった。客席の笑いも一番とっていたのではないかと思う。
(『アイス・エイジ』 監督クリス・ウェッジ ニュー東宝シネマ 2002/8/7)
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『ウロボロスの基礎論』(竹本健治 講談社ノベルス)をようやく読了。昨日、いよいよ事件の核心に触れる部分に辿り着いたので、普通なら一気に読み上げてしまったのだが、飲んでいたせいか結局中途半端に読み残し、今日最後の部分を読む。日記を読み返してみると、先月の22日から読んでいる。まいったなぁ、半月以上もかかっていたのか。満足度としては、いまいちか。個人的には『ウロボロスの偽書』の方がよかったかな。『基礎論』の方が、並行して書かれる物語の融合が見事だったけれど、ミステリとして整合性を持たせようとする分退屈さを否めない。謎が謎のままほったらかしに終わっていく部分は、『風刃迷宮』なんかでもあったけれど、『基礎論』で残される謎は読者を惑わせるのではなくなんとなく中途半端に終わった感じがしてしまった。
本屋に行くと、『月の裏側』(恩田陸 幻冬舎文庫)が文庫で出ていたので迷わず購入、読み始める。他に、『ハサミ男』(殊能将之 講談社文庫)が文庫化されていたので、加筆されているかどうか手に取ってみた。あとがきはないし、帯や解説におおざっぱに目を通した限りでは特に言及はなかったようだ。見ていたら読み返したくなってきた。
tower recordに行き、ポイントカードが満点になっていたので、その割引を使ってDVDを買う。カードで買おうと思ったら、ポイントカードを使う場合の残金は現金でお願いします、とかいわれた。罠だな。商品二つ買って、一つが3千円超えてるんだから、そういうこというなよと思う。じゃあこちらだけにする、って言おうかと思ったが、大人げないのでやめる。でも、こういうシステムは客を失うと思う。
買ったのは、『オーシャンズ11』と『コンドル』。『オーシャンズ11』は映画館で観たときに面白かったのと、そのあと『トラフィック』を観てやはり面白かったので、もう一度じっくりと観直してみたいと思って。ソダーバーグって、『セックスと嘘とビデオテープ』でデビューしたときにはそんなに凄いと思わなかったし、こういうエンターテイメント系を撮るとも思わなかった。まあ、『オーシャンズ11』なんかは、映画ファンではない普通の人が退屈だったという感想を漏らしていたので、エンターテイメント系として成功してるわけではないのかもしれないが。
『コンドル』はロバート・レッドフォード主演のスパイ映画。昔、昔、少年マガジンの映画紹介コーナーで淀川長治が紹介していた記憶がある。もちろん、観たこともあるのだが、観たのはテレビの洋画劇場でだった。たぶん、『スパイ・ゲーム』のお陰で再発になったんじゃないかと思う(DVDとしては初DVD化だろうけど)。レッドフォードの映画では、ドートマンダーシリーズの映画化の『ホットロック』とか、『ブルベイカー』とか、観たいんだけど、これを機会にDVD化しないかなぁ。
『ホットロック』は、LDのときから手に入らないかなぁと思っていたのだが、そういう作品にイザベル・アジャーニ主演の『ポゼッション』がある。ビデオならあるし、LDも中野ブロードウェイの中古LDショップで見つけたが、高い値段がついていて買えなかった。なんかDVDをついつい買ってしまうのは、廃盤になって手に入らなくなってしまうのを恐れてというのもある。だからマイナーな映画につい敏感になって、そんなの廃盤になってもいいじゃないかとかいうのまで気がついたら買ってたりして。罠だな、まったく。
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『ウロボロスの偽書』の続編として書かれているが、それもまた一つのトリックになっているという感じ。『偽書』よりも推理小説的な結末を迎えるが、残された謎は多すぎて、方程式が美しく解けるようなミステリらしさはない。余りがあるというか、割り切れず小数点がずっと続く解がでたような歯切れの悪さを感じる。『偽書』同様に小説中小説が存在して、複数のストーリーが並行して進むような構成なのだが、その複数の話がバシッと意味をもつ瞬間があって、そこはちょっとした感激があったのだが。
個人的な好みでは、『偽書』の方が複雑で迷宮的な感じがして面白かった。『基礎論』はミステリとして一つは解決し、だが全体には解決されない謎がたくさん残っているという結末になっている。その謎が残されることで、物語の迷宮化を狙っているのかもしれないが、むしろ中途半端に終わってしまったような不満を感じるのだ。
あと、ゆっくり読み過ぎたのも一つの原因かもしれないが、ウンコ、ウンコとしつこく続くのには辟易した。
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忙しく慌ただしい一日。4つの打ち合わせと打ち合わせの間に電話が10本以上。その合間に資料作成とメール処理。あっという間に一日が終わった。
夜、仕事関係で飲みに行く。飲んでざっくばらんに話そうというのが趣旨の飲み会だ。今週は飲んでばかりで、昨日も寿司屋で飲んだし、火曜日以外はずっと外で飲んでいる。そして、金曜の夜というのもあって、2時まで飲み続ける。最後の方で、どういう風に記憶するかという話になって、記憶の仕方に人によって違いがあることを改めて知って、非常に面白かった。
僕は映像と音をそのまま記憶する。飲んでいるときの場所から、そのときの表情や喋り方。話の内容、それに対するリアクションをビデオを再生するように思い出す。その時点で、4人いたのだが、3人は同じ系統の記憶の仕方で、何か話の途中で聴いたキーワードなどから全然違う方に考えがずれていったりするという。1人は、そういう映像的記憶はまったくなくて、例えば講習などを受けるとそのまますべて憶えてしまうらしい。歴史の年号の記憶など得意で、「いい国作ろう鎌倉幕府」とかそういう語呂合わせなんかは使ったことがないという。
その人は、テキストで憶えていくのだろうか。何かのキーワードに対して、答えはバシッとそれに関することが返ってくる。その代わり、そのことはいつ聴いたり読んだりしたのかということは憶えていないらしい。「こんな話もしましたね」と言われると、そうだったと思い出すことはあるらしい。逆に映像派の三人は1つのキーワードに対し、蜘蛛の巣状に相互に関係ないことがいろいろ返ってきて、そこからいろいろな発想に広がっていくという。その話はどこで誰がいてどういう風に話したとかそういう記憶の思い出し方をする。
最近、同じことを話しているつもりとか、常識的な範囲で考えたことが、人によって受け取り方が違ってしまい勘違いや誤解やすれ違いが起こることを多々目にしている。同じ場にいたとしても同じこととして受け取っているというのは、幻想でしかないんだなぁという結論になる。
秋葉原で朝焼けを見る。電車の中で居眠りしながら家に帰り、布団に潜り込む。
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昼まで寝て、食事。午後、部屋のタンスを買い換えたので、その上に置いてあった本やCDなどを少しばかり並べ直す。でも全然やる気なし。
2時半くらいからDVDで『コンドル』を観る。面白かった。1975年の映画なのだけど、この頃の映画って、娯楽映画でも社会派みたいな傾向があったのかな。シドニー・ポラックだからなのか。物語の雰囲気がなんか今の映画ではないという感じがする。フェイ・ダナウェイとのラブシーンとかあるんだけれど、メロ・ドラマって感じだし。
映画を観たあと、睡魔に襲われる。一眠りして食事をするが、そのあとテレビを聴きながら眠りに落ちる。「思い出のメロディ」をやっていて、懐かしい歌だなと思いながら泥のような眠りに。早川義夫の登場で、一瞬起きて、正座して聴く。そしてまた違うイキモノになったような気分でトロトロと眠る。
11時過ぎ、ヨガの眠りから覚める。それから3時くらいまで元気に活動。どうも生活のリズムが正しくないような気がする。気のせいだろうか。
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昼頃起きて食事。しばらくのんびりして、DVDで『オーシャンズ11』を観る。
金庫破りという計画に、プロフェッショナルの仲間たちを集めて、計画を実行するというストーリーがやっぱりスリリングだ。逆に実行を移してからは、結構あっけなく終わってしまう。もちろん最後の見せ場なので、盛り上がりはあるのだが、その展開が速くてちょっと気を抜くと何が起こったのか判らなくなるようなところがある。今回観直して思ったのは、最近のハリウッド映画にはあんまりない、頭脳勝負のコンゲーム的な面白さの映画だったなぁと思った。それと、泥棒チームが11人で、ターゲットにされたカジノの支配人のアンディ・ガルシアとジュリア・ロバーツのそれぞれの行動が並行で描かれるから、泥棒側がチームで行動しているとはいえ、どんどんカットが切り替わっていく。改めて観ると、複雑だなぁと感じた。もの凄く複雑なのに無駄なくまとめてるのが凄い。改めて感心しする。コメンタリーが、監督のコメンタリーと、俳優たちによるコメンタリーと二種類も入っている。コメンタリーを聴きながらまた観るつもり。
Webを見ていたら、『13日の金曜日』の新作をやることを知る。前作で死んだんじゃなかったのか。いや、死んだと思って不死身なのは毎度のことだけど、前作は最終作ということで『13日の金曜日 ジェイソンの命日』だったはず。その新作は、『ジェイソンX 13日の金曜日』で、ジェイソンは宇宙で復活する。そういや、『ヘルレイザー』も4作目は宇宙だったっけ。
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10時過ぎに起きる。今日、明日と仕事は休み。朝食を取って、Webを見て、そのあと何をしたのか憶えていないのだが、思い出せないくらいくだらないことをしていたのだろう、いつの間にか12時になっていた。
昼を食べながら、なんとなく「笑っていいとも」を見る。この番組、もの凄く久しぶりに見るような気がする。しかし何にも変わってない。あって当たり前の番組になっていて、きっと内容も変わったら不安になるんじゃないだろうか。
午後、昼寝。出かけようとかいう前向きな姿勢がない。昨日までの暑さが半端じゃなかったせいか、昨日までと較べたらしのぎやすい今日は、なんだか疲れが出てぐったりという感じ。3時のおやつにかき氷を食べながら、テレビ東京でやっていた『ラブアンドロイド・チェリー』の終わり30分ほど見る。タイトルからしてチープなので、いわずもがなであるが、メラニー・グリフィスが出ていた。
それから日記の更新、なんとなく過ごして夕食を取る。食後、『月の裏側』(恩田陸 幻冬舎文庫)を読む。寝転がって読んでいたら、途中眠くなって、眠くなったらまたそのまま寝る。目を覚ますと、また続きを読む。憧れの自堕落なひとときを過ごす。
しかし、途中で眠りながら本を読んでいたら、読書と夢の境界が曖昧になった。夢の中で『月の裏側』を読んでいて、「あ、これは夢だ」と思うのだが、このまま読んでみようと思って読んでみる。もし、これで読んだものと目を覚ましてから読んだものが同じだったら、それはどういうことなんだろうと考える。夢の中で読んでいたのは、目が見えない人が見えるようになっていく過程が書かれていて、最初は白黒でものが見えるようになったという。それで、そのうちに動きがあるものに残像のように色が見えることに気づき、それからだんだんとすべてのものに色が見えるようになってきたという。目を覚まして、本を開くと、当然そんな話は載ってなくて、一体どこまでが恩田陸の小説だったんだと混乱する。でも、時間が経つと夢は夢、読書は読書で分離しているみたいだ。
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『ジェイソンX 13日の金曜日』のサイトができていた。このサイトを見ていたら、デビッド・クローネンバーグが博士役で登場するようだ。もう、まったく、クローネンバーグったら。
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朝から『月の裏側』(恩田陸 幻冬舎文庫)を読む。午後、映画を観に行くつもりだったが、読書を続けるうちにだんだん面倒になってくる。
昼、今日もまた「笑っていいとも」を見ながら昼食をとる。テレフォン・ショッキングに、鷲尾真知子が出る。そのあとのマネージャの話を聞いて、タレントをあてるクイズでは竹中直人が出る。何のことはない、二人とも夜の「怪談百物語」の宣伝に出てきたようなもんじゃないか。テレビのこういうところっていやらしい。宣伝です、って出てくりゃいいのに。
午後、出かけようと思っていたが、結局出かけずに読書を続ける。実際のところ、思っているだけだと実行に移さないまま終わるのはいつものことなので、出かけるなら朝食後すぐに出かけるべきだった。昼を食べてから午後にでも出かけようかと思った時点で、出かけることはないだろうと自分では判ってたりしてね。そのまま読書を続けて、『月の裏側』を読み終える。続けて、『バイバイ、エンジェル』(笠井潔 創元推理文庫)を読み始める。
夜、宣伝にのったわけじゃないが、「怪談百物語」を観る。第一回は「四谷怪談」で、お岩を菅野美穂が演じていた。やっぱり菅野美穂は怖い。池に飛び込んで死にきれずにずぶ濡れになって帰ってきたときに狂ったような笑い方が怖い。とてもいい。ホラー菅野をまとめて観ようか。『エコエコアザラク』と『富江』くらいしか思いつかないが、他にも出てないだろうか。『富江』一作目の菅野はあんまり怖くなかった気がするが、今観るとどうだろう。
ということで、なんだか全然リフレッシュしていないが、明日からまた日常に戻る。戻れるのかな。
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巻末の解説を山田正紀が書いているのだが、どんなテーマでどんなストーリーかについてはあえて触れないと書いている。理由は「『月の裏側』には、ある先行するSF作品があり、それと比較されて読まれたために、多少、誤読されることがあったから」だそうだ。
僕は何も知らずに、裏表紙の短い作品紹介すら読まずに読み始めたのであるが、もうかなり初めの方で言われなくともそのSF作品を思い浮かべた。そして、まさかこのまま似たような話が続くのか、いや同じネタの話と言っていいんじゃないかというなのかと疑問をもった。下手すると舞台を日本に置き換えた翻案小説のようになってしまい、オリジナリティの低い作品になってしまうのではないかと疑問だ。
山田正紀がいうのは、先行するSF作品について触れることで、このような印象をもつことを危惧してに違いない。しかし、そんな心配は不要なのではないかと思った。というのも、そのことを言わずとも、(その先行作品について知っているならば、)どうしても類似性に気がつくし、その類似性に気づく頃には、小説の中でそのSF作品について登場人物たちが話し出すのである。
登場人物たちがそのSF小説に触れることからも判るように、その作品は『月の裏側』の世界では大前提になっている。河童とかゾンビとかヴァンパイアが、誰かの創作による妖怪やモンスターとしてではなく、一般的な存在になったように、そのSF作品もまた古典的なくらい古典なので同じように物語に登場させただけなのではないかと思う。ただ、それを指す名前がない。そこがその元作品の怖さでもあるし、『月の裏側』で誤解を受けやすい点かもしれない。(ちなみに、それを指す名前は必ずしもないわけではないが、『月の裏側』ではその名前の代わりにその行為を指す動詞を使っていたことに今気づいた。)
前半は、その類似に「こんなに似ていてもいいのだろうか」という疑問はあったが、後半になるとだいぶ趣が変わってしまう。ヴァンパイアものを誰が書いても、今なら誰も似たような作品を書いているとは思わないだろう。むしろ、古典的な吸血鬼のイメージを引き継いで、アン・ライスのヴァンパイア・レスタトやナンシー・コリンズのソーニャ・ブルーのように全く新しいヴァンパイア物語が紡ぎだされている。『月の裏側』もそういった、新しい物語の一つとして書かれていると思う。
新しい物語というよりは、その元になるSF作品を取り込んで、さらに裏返しにしたような物語と言えるかもしれない。ちょっとネタバレになってしまうかもしれないが、藤子不二夫に「流血鬼」という「吸血鬼」ものを逆手に取ったSF短編があるのだが、その逆転の発想に似ているかもしれない。
そのSF作品のタイトルについては、小説の中にも出てくるのでここには書かないでおこう。実は、原作は読んでなくて、本棚の奥にしまわれたまま20年弱経っている。触発されたので近々読んでみようかと思う。僕の知っているのは映画の方で、3回ほど映画化されて、そのうちの新しいもの2本を観ている。友人によれば、オリジナルが一番怖いというが、あと二作もそれぞれ面白い。
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午後、焼けるような暑さの中を出かけて、空調を凍えるほど効かせた場所で2時間半ほど過ごす。
ちょっと問題があって、一か八かのぶっつけ本番で試さざるを得ないという難局に直面しているのだが、やること自体は大したことではない。むしろ待ち時間が長い。いつの間にか、産室の前で子供が産まれるのをイライラしながら待つクマのように、同じところをぐるぐる廻り始める。自然と口ずさむメロディは元ちとせの「ワダツミの木」だった。同じ所をぐるぐる廻って……歌詞と行為の一致に気づいて苦笑する。
外に出ると、さっきまでジリジリと暑い日射しと感じていたものが、やさしく包み込むような暖かさに感じられる。何事も比較次第なのだ。
夜、『スターウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』を観る。話題のヨーダはなるほどそうですかって感じ。いつヨーダが活躍するのか楽しみにしすぎてしまったので、やっぱりそういうことは知らない方がいい。対するデューク伯爵がなんか『ロード・オブ・ザ・リング』のサルマンみたいなキャラだなぁと思っていたら、ラストクレジットで俳優がクリストファー・リーであるのが目に留まる。役者まで同じだったのか、なんだかこんな風に似た役を同じ役者がやるのってどうなんだろう。それぞれのファンから何か文句はでないのだろうか。あと、ジェダイの騎士が今度は戦争だ!って感じなのが予想外で面白かった。
食事をして新宿駅に向かう途中、先月まで一緒に仕事をしていた人にバッタリ遭う。しばし立ち話をする。そういや、昼飯のときに、入った店でも知っている人を見かけた。どうしてこんなところにいるんだろうと思ったのだが、まったく、世間は狭いもんだ。
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「スターウォーズ」は、「スターウォーズ」であるだけでとりあえず肯定してしまう作品である。話もそんなに凄い訳じゃないし、映像はそれなりのものはあるが今の時代飛び抜けて凄いとはいえなくなってしまった。たぶん、まだ特撮なんていう言葉で言っていた時代にSFXとか言って(この頃初めて使ったのかは憶えていないが)、観たことのない映像を見せてくれたインパクトだけでできている映画だと思う。そして、特撮部分だけが凄いのではなくて、物語自体が特撮であるという一体感は重要かもしれない。
物語の順番が、1から順番ではなくて、4〜6のあとから前半の1〜3をやるというのも成功していると思う。4の誰それはどうだったのか、5のエピソードはこういう理由からだったのかという楽しみ方ができるから。(というほど、マニアじゃないんであんまり4〜6の詳細は憶えていないんだけど。)
噂のヨーダの活躍も楽しんだし、ジェダイの乱戦には驚いたし、R2-D2とC3POの掛け合い漫才が始まりだしたし、楽しみどころはそこそろあるのだけれど、「面白かった?」と訊かれるとちょっと困るところもある。でも、あのシーンではどうなってたのかもう一回観たいとか思ったりして、なんだか面白いんだか面白くないんだかよくわからない。
でもきっとエピソード3も観に行くだろうし、そのあとでは全部通しで観てみたいと思うんだろうなと思う。
(『スターウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』 新宿スカラ座 2002/8/14)
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『バイバイ、エンジェル』(笠井潔 創元推理文庫)を読んでいる。なかなか面白い。文章がみっしりと詰まった感じが心地よいが、どうも最近の読書ペースではこういう文章は読み進まない。
最近気づいたことは、本を読んでいて字面は追っているのに、頭では別のことを考えているということが多い。ふと、本の内容が頭に入っていないと気づいて読み返すと、2ページくらい全く頭に入っていなかったりする。目で文字を捉える行為と意味を理解する行為は別なのだ。それで文字を読みながら別のことを考えているという妙な事態になる。本を読みながら、別のことを考えて、両方が両立するのなら時間が短縮できてよいのだが、そうはならない。しかし、読むという行為が目で文字を捉える行為と文字から意味を理解する行為が分離されるというのは、なんとも不便だ。っていうか、それって記憶とか認識の障害とか、何か病気の一種なのか? そうだったら困る。などと、困ってみた。
夜、焼鳥屋に繰り出し、大いに飲む。昨日、健康診断の再検査の結果が戻ってきて、中性脂肪が多いというのが昨日判ったばかりなのだが。困った、困った。
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久々に友人納富と会う。焼き肉屋で食事をして、そのあとお宅までお邪魔して、11時半過ぎまで延々と話をする。
前にあったのは、3月末なので5ヶ月ぶりだ。そのときは、竹本健治が手に入らないという話をして久々に会おうという話になったのだった。そのときに借りたままだったゲーム三部作と『殺人ライヴへようこそ』を返す。まあ、そういうわけなので、話は『ウロボロスの偽書』『ウロボロスの基礎論』辺りから始まる。笠井潔や新本格の話からメフィスト賞作家の話になったり、京極夏彦やらこの間の「怪談百物語」の「四谷怪談」あたりの妖怪談義、映画では『スターウォーズ』『指輪物語』から『ピンポン』まで。音楽ではチャクラとあがた森魚とか、早川義夫のライヴ盤とか。まあ、普段日記に書いているような話を延々4時間近く話していた。普段これらの話の話題の一つでもできる人はいないし、仮に話ができたとしても精々どれか一つのジャンルだから、これだけいろんな話ができるというのは嬉しい。
話はとめどなく続くのだが、電車がなくなるので11時半過ぎに帰る。帰らないと朝まで話が続いてしまいそうな勢いだった。それはそれで楽しいのだが、そんなに体力が持たない。先週まで週末は二週続けて朝帰りだったからね。またもや、竹本健治を借りて帰る。『狂区の爪』『妖霧の舌』『緑衣の牙』の三冊。
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