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2004年4月後半
暑くなったり寒くなったり気候も無茶苦茶だが、仕事の方も二転、三転ころころ転がるので思うようにはかどらない。毎日遅くなるし、結果的に何もできずに一日一日が過ぎていく。日記もなんとなく書く気力がなく、またもや一週間ぶり近くのまとめがきになってしまう。こまめにメモをしておけばいいのだが、そういう気力もなくて今ひとつ思い出せない。
ただ一ついえることは、最近の楽しみは毎晩深夜に近くのスーパーに行って献立を考えることになっていたりしている。その辺を書いたら、殊能先生の日記みたいになるんじゃないかと思ったりもするが、やっぱり殊能先生と違ってヴァリエーションがないので書いてもつまらないだろうな。
そんなわけで、最近の夜は外食をしないで家で食事をしている。14日に久々に飲みに行ったが、それでも食事は家で食べたりして、金曜日に用事があって食事を済ませておきたくで外食したくらい。
部屋の荷物は4箱片づけて、25箱になる。しかし、休みに実家に置いてきた荷物を片づけに戻ったら、2箱荷物が増えてしまい、結局27箱に戻る。コルのU5さんと競争しているので負けられない。とかって、いつの間にか競争になっているのか?
コルといえば、U5さんは『少林サッカー』が面白くなかったと書いていてちょっと残念。僕は大好きで、昨日のテレビの地上波の放送もテレビじゃなぁと思いつつもついつい観てしまって泣いた。笑って笑いすぎて泣いたとかじゃなくて、泣いた。なんでこんなくだらなくて、馬鹿げた映画を観て泣いているんだろうと思いながら泣いてた。なんなんだろう。
周星馳の映画ってみんなこんな感じ(というか、もっとくだらない)なのだが、なんで『少林サッカー』だけがヒットしたのか。タランティーノの『キル・ビル』なんかもなんでヒットしているのかよくわからない。間違ってヒットしてしまったような気がしてならない。こういう映画、僕ら(って誰だ)が、面白いって叫んでも世間では見向きもされていなかったのに。たぶん、面白いと思っている人より、マスコミの評判とかで面白いと思いこんでいるだけの人が多いんじゃないかという気がする。
最後に、今週とてもショックだったことについて書いておくが、横山光輝が亡くなったこと。そのわりに話題になっていないような気がするのも余計残念だ。最近はWebをあんまり見ていられないのでなんともいえないのだが、ほとんど反応を見かけていない。横山光輝って、自分にとっては手塚治虫と同じくらいの影響があったから、もしかしたら手塚治虫よりも影響力が強かったかもしれない。ああ、横山作品も読み返したくなってきた。
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前にも書いたが、引っ越しして、マンションに光がはいっているため、DTIを先月末解約した。
最初にインターネットに接続するために契約してからずっと使っていたプロバイダで愛着があったのだが、必要のないものはやっぱり必要がないので。Air H"のプロバイダもDTIを使用しているので完全に切れた訳じゃないけれど。
そして、実質上20日まで利用できるということで、メールアドレスも今日一杯のはずである。リダイレクトだけしていたHPも、日付が変わった時点で確認したら削除されていた。
引越の片づけ進捗は、昨日、今日とダンボールを1箱ずつ片づけて、残り25箱。
ちょっと上記文章が紛らわしかったので追記。メールアドレスが切れたのは、昔のDTIのアドレスです。現在メインで使用しているメールアドレスは変わりませんので、連絡等はこちらまでよろしくお願いします。
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毎日毎日時間の経つのが早くて、そろそろ日々更新にできるんじゃないかと思っていたが、なかなか思うようにいかない。まとめて書こうとすると、いろいろ書きたいことを書き落としているような気がするので、一行日記でもいいから毎日書こうと思ったりするのだが、その一行を書く時間がなかったりして。時間がないというのは言い訳でしかないと思うのであまり書きたくないことだが、実際どんな感じかというと、書きかけてまとまらないうちにだんだん遅くなって、明日にしようとエディタを閉じることが多い。そうやって繰り延べすることで、書きたいことが多くなって余計まとまらなくなるのだ。と、書いているこの文章もなんとなく前にも似たようなことを書いているとか、でも先日書いたことと矛盾している気がするとか思い始めて、そういうことを書くとまたまとまらないのでやめて坦々と事実を書こうと思う。
毎日似たような日々なので、書き溜めてしまうともう何がいつあったことなのか判らなくなっていて、それを確認しているとまた時間を食ってしまうので順不同で。
まずは読書。引越前から読んでいたのでよもやまだ読んでいるとは誰も思っていなかっただろう『陋巷に在り 10 命の巻』(酒見賢一 新潮文庫 bk1 / amazon)をようやく読了。前巻で一つの山場を超えたので今回は大きな展開はないのだが、それでも見せ場が結構あってなかなか面白い。今回は柱が3本あって、医げい(睨の目偏を鳥にした字)という南方医がここしばらく活躍しているのだが彼がまた医術を振るう話、孔子の母親の徴在の若い頃の話、それに孔子の政略とそれを突き崩そうとする敵の新たな動き。医げいのエピソードに顔回が登場するのでこれがメインだろうか。本論とちょっと離れている徴在の話もなかなかに面白い。最後は孔子誕生秘話へと繋がっていく。最後に書いた孔子の話は、時代背景的には本当は一番重要な話なのだがこれは今回は話の繋ぎという感じ。しかし、次巻あたりで再び大きな事件になりそうなエピソードで目が離せない。
このまま11巻を読もうとしたら、引越で紛れてしまい見つからず、荷物を整理して探し出す。引越前後に買ったり読もうとしていた本は、紛れないように最後まで詰めなかったはずなのに何がどうなってるのか。見つかって金曜日から持ち歩いているのだが、結局読む暇なし。
引越の話ついでに、荷物の片づけ進捗を報告しておくと、残り15箱。しかしすでに本棚はかなり一杯一杯で箱を開けても詰めるところに苦労している。あとは引越前に取捨選択できなかったものをもう一度整理をかけてある程度捨てなきゃ片づけは進まない気配。物理的に多いのは、整理するとかどうとかいう問題じゃない。ゴールデンウィークはそれが一番の課題になりそう。
それから、今週の一大イベントは、テレビが来たこと! 4月3日に引っ越して以来、テレビのない生活をしていたのだが、先日購入してついに今朝届いたのだ。これにもいろいろ紆余曲折があるので書き始めると長くなりそうなので詳しい話はまた今度書こうと思う。とりあえず、今日はテレビが届いたのでセッティングしたり、DVDソフトを何本か再生して映像を確認したり、設定を変えてみたりしていたらほとんど一日終わってしまったということだけ。
そうそう、今日は本当は人と会う約束だったのだが、昨日その話がぽしゃってしまって残念に思っていたのだが、そんなわけで退屈しなかった。しかしテレビの設定をあれこれ試しているだけで一日かかるとは思わなかった。今どきのテレビってすごいんだね。全然知らなかった。
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『陋巷に在り 11 顔の巻』(酒見賢一 新潮文庫 bk1 / amazon)を読み始める。
昨日、10巻の徴在の話が孔子誕生秘話になっていると書いたが、11巻の最初の章は「徴在伝」となっていて、徴在の話はまだ続く。10巻で書かれていたのが、孔子誕生に至る不思議な出来事や孔子の両親の出会うところまでが中心だったのに対し、こちらでは孔子が生まれるところも描かれる。
まだそれほど読んでいないのだが、一気に飛ばして巻末に「あとがき(というか付録)」として『信長の大予言』というのが載っているのをパラパラ見る。なんていうか、とんでも本の目次みたいなものなのだが、馬鹿馬鹿しくも面白い。『陋巷に在り』の真面目さからすると全然対照的な内容に思えるのだが、よくよく考えると『陋巷に在り』だって、かなりの「孔子とんでも伝」である。これが小説で書かれているからいいのであって、ノンフィクション的な書き方にしたら、と学会推薦のとんでも本に早変わりするかもしれない。なんてことに、『信長の大予言』を読んで気づいた。
目次だけなのだが興味がある人は、本屋で立ち読みでもすぐに読める程度の長さなので、本屋でちょっと見でもしてみては。
他にも書くこともあるのだが、もう3時半過ぎているので寝る。
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忙しくて何かできないと書くのはとても嫌いなのだが、それでもつい忙しいと書いてしまうことが続いている。映画も観てなければ、本も読めていない。それがようやく落ち着く気配がみえてきた。そんなわけで、久々に映画を観にでかけたりした。まず何を置いても『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』を観たくて、時間を調べて出かける。もう、公開してからだいぶ経つし、終わってしまう前になんとしても劇場で観なくてはと、半ば焦りつつ行ったのだが、驚いたことに満席で入れなかった。もう上映館も絞られたし、ガラガラではないか、うっかりしていると打ち切りになるんじゃないかと心配していたのに、満席というのに驚くやら嬉しいやら、観られないことにがっかりするやら。
仕方がないのに何を観ようかと近くの劇場のタイトル見て回るが、結局『オーシャン・オブ・ファイヤー』を観ることにする。主演は、『ロード・オブ・ザ・リング』のアラゴルンことヴィゴ・モーテンセン。指輪が観られないからこれにしたのではないのだが、奇しくも彼が主人公の映画だ。内容も何も知らずに見始めるが、なかなか面白かった。映画の紹介をあとから見ると、実話を元にしたアラブ純血種の名馬を決める過酷なレース(アラビア半島を縦断するのだ)の話のように書かれている。
確かに間違いはないのだが、実話を元にした過酷な馬のレースという言葉から想像するような、リアルでストイックな地味な話ではなく、意外にアクション活劇を交えたエンターテイメントにもなっている。
それにしても冒頭のシーンには『ラスト・サムライ』(amazon)を思い出してしまった。『ラスト・サムライ』でもアメリカ先住民に対する迫害に対する悔悟のようなものが描かれるのだが、『オーシャン・オブ・ファイヤー』でも似たようなものが背景にある。どちらの映画でも主人公達はその重荷を背負って酒に溺れているところから始まるのだ。この時期にそういう映画を観ると、アメリカ人は今のイラクに対する戦争で、先住民に対するのと同じ過ちを繰り返しているのではないかと言っているような気がしてならない。
映画のあと本屋に行く。ルミネにある青山ブックセンターだ。インタビュー雑誌「CUT」の特集が 『ロスト・イン・トランスレーション』で、この映画もとても観てみたいと思っていたので思わず買ってしまう。最近、面白い雑誌がないか探しているのもある。
それから、吉野朔実の『透明人間の失踪』(小学館 bk1 / amazon)を見つけて即購入。これは意外な収穫で、吉野朔実の新作が出ているとは全然知らなかった。読むのが楽しみ。
「かつて子どもだったあなたと少年少女のためのミステリーランド」シリーズの森博嗣の作品、『探偵伯爵と僕』(講談社 bk1 / amazon)を見つけてしまって、これも迷わず購入。先日読んだ『女王の百年密室』(新潮文庫 bk1 / amazon)が面白かったので再度興味が戻っているというのもあるが、何よりタイトルの「探偵伯爵」って言葉にやられた。これだけでもう買うしかないでしょ、買うしか。
あと、「ユリイカ」が小川洋子特集だったので、これも迷わず購入。そんなところで、これ以上買うとヤバイとか思い始めてレジに急ぐ。
買った物ではないが、横山光輝特集コーナーができていて嬉しかった。嬉しくも悲しいのだけど。マンガ、アニメ界以外ではほとんど話題になっていなかったような気がしていたので、こういうのを見ると嬉しくなる。しかし改めて、亡くなったことを実感して残念に思えてならない。
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この間テレビが届いて一ヶ月ぶりくらいにテレビを見たら、テレビなんて詰まらないと思っていたのに面白くて仕方がなかった。テレビがない生活とテレビを見ない生活は違ったみたいで、テレビを見ていないと思っていても、たまたまテレビがついていたり、天気予報やニュースなどで意識的につけてみたり、そのついでに見ていないようでも意外と見ていたのだろう。テレビがないことにより、そういう断片的な視聴もなかったので、映像が出て音が聞こえるだけで嬉しいのである。内容は関係ない。かなり原始的な興味だ。
そんな面白さも一週間も過ぎれば慣れてしまい、内容に目がいくようになり退屈し始めたところで、ケーブルテレビが繋がった。テレビがないので先延ばしにしていた工事がいよいよ昨日あったのだ。工事といっても、CATVコンバータという箱をアンテナとテレビの間に繋ぐだけ。基本契約だけ契約したのだが、それでも今まで地上波しか見られなかったのだが、突然46チャンネルを見られるようになった。衛星劇場とかスターチャンネルとかWOWOWとか別に契約すれば、映画などをたくさん放送しているようだが、最初だから基本契約でどんなものか試してみようと思ったのだが、番組表だけで1冊になっている雑誌を渡されて、もう番組表を見るだけでおなか一杯。最新作やDVD等を買ってでも観たいと思うものになると基本契約では少ないが、ちょっと興味あるくらいのものだと、基本契約だけでも観きれないくらいある。
そんな中でタイミング良く見つけたのが、『忍風カムイ外伝』である。ちょうど5月1日から5日まで夜中に一挙放送なのである。今はビデオがないので録画ができないのだが、連休中と重なるので十分視聴可能である。録画してしまうと、そのまま埋もれてしまいそうなのでかえってよいかもしれない。そう思っていたのだが、うっかり忘れてしまい、第5話から見始める。
第5話は「五つ」。この話は強く印象に残っているのだが、たまたま見始めたのがこの話というのが面白い偶然だ。マーフィーの法則に、「1話しか観ていないテレビドラマの再放送を観ると、その観たことのある1話である」とかいうようなものがあったと思うのだが、まさにそれだよなぁと思う。
ただ、実はこの法則には裏があって、人間の記憶の曖昧さからそう思えてしまうだけなのではないかと思っている。つまり、1話しか観ていないと思っていても、実際には1話しか観ていないのではなくて何話か観ているのに忘れてしまっていることが多いのではないか。推理小説とか2時間ドラマなど、ストーリーの先が読めてしまい、こんなに想像が当たってしまうのだろうと思っていると、突然記憶のはっきりしているシーンにぶち当たって読んだことを思い出すという経験は誰でもあると思う。
自分の体験だと、『インディペンデンスディ』がそのいい例で、この映画はテレビで何度も放送しているのだがいつも最後の部分だけ観て、最初から観ていないと思っていたのだが、先日全部見たことがないから最初から観てみるかと思って観ていたら結局全編覚えていた。果たしていつ通しで観たのか覚えていないのだが、全編観ていることは確かなのだった。
今回の「五つ」もそのパターンではないかと思っている。続けて観た第6話「木耳」(きくらげ)もよく覚えている話で懐かしかった。
昨日のケーブルテレビの話から、いきなり1日の夜中のテレビの話になってしまったが、今日の昼間は『犬と歩けば −チロリとタムラ−』(監督篠崎誠)の初日で、新宿武蔵野館の第一回上映を観に行ってきた。今回は試写などで観ていないので、全く始めての鑑賞。映画の内容も、メインキャストを知っているくらいでほとんど知らない状態なので、映画を観る上ではベストな状態ではないだろうか。
一回目の上映のあとには舞台挨拶もあるというので、一回目の上映に行ったのだが、家を出る時間を見誤って劇場にギリギリに着く。既に満席で立ち見になっていたがもちろん入る。ゴールデンウィークの初回、舞台挨拶もあるからとはいえ、立ち見が出るほどの盛況振りに喜ぶ。
映画は、セラピードッグをテーマにしているが動物映画というより人間ドラマの映画で、真面目なテーマなのだが、全編を通して笑いが溢れる映画になっている。特に前半ココリコの田中のダメっぷりや犬との掛け合いは爆笑ものだ。その反面、重いシーン、激しい感情のぶつけ合いなどもある。りょうとその妹役の藤田陽子の壁を挟んでの対話のシーンがそれで、『おかえり』の夫婦のぶつかり合いシーンを思い出すリアルな迫力ある場面になっている。どうやらアドリブを交えた一発撮りらしい。
全体的にはさわやかな印象が残るいい映画だった。『おかえり』も『忘れられぬ人々』,もいいのだけれど、人に勧めるときにある種の注釈をつけて紹介する必要を感じていたけれど、『犬と歩けば』に関してはそういう注釈抜きで勧められるように思った。それはたぶん今までの作品がある種の偏りを持った映画だったのに対して、この映画はとてもバランスが取れているからではないかと思う。
念のため断っておくけれど、バランスが取れているのがよくて、偏っているのが悪いということでは全くない。単に他人(特にごく普通の人)に紹介する都合だけの話ね。
というわけで、僕の好きな作品の傾向とか知っている人にはもちろん、僕の趣味の偏りにはちょっとという人にも、子どもから大人、おじいさんおばあさんまでオススメである。僕はどちらかというと猫派だけど、猫派の方もどうぞ。
いい加減引越の荷物を片づけようと 午後は家に戻って片づけ。ダンボール箱はとにかくすべて開梱する。ただ収めるところがないので蓋の開いた箱が並んでいる。さて、どうする。
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