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2010年2月前半
昨夜なかなか寝付けず、3時間半くらいしか眠れなかった気がする。眠いまま7時に起きて仕事へ。
夜、早めに帰宅。昨夜深夜から今朝9時まで、ケーブルテレビでチャンネル番号が振り直されるというメンテナンスがあった。その間の放送はもちろん休止だが、そのあとの予約もチャンネル番号が変わるため録画予約できなかったのだ。帰宅して、恒例となった「エウレカセブン」の録画予約などを入れる。
「交響詩篇エウレカセブン」の41話、42話を観て、0時にはもう睡魔が襲ってきたので仮眠。4時くらいまで眠ってしまう。
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昨日0時には寝ていたのに、結局起きられず。仕事が忙しく、22時過ぎに帰宅。
晩酌をしながら今日もまた「交響詩篇エウレカセブン」を観る。43話と44話。話はどんどん核心に近づいていく。というか、一日2話ずつ観ていくと、今週で最終の50話に到達するのだから、もうクライマックスである。グレイトウォールを超えたけど、なぜか険悪になっていくレントンとエウレカ。
読書は『クォンタム・ファミリーズ』(東浩紀 新潮社)を引き続き読んでいるが、こちらもまた佳境。
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『クォンタム・ファミリーズ』(東浩紀 新潮社)読了。もの凄く面白かった。こんな並行世界の話って書けるんだと思っていたのは冒頭のあたり、後半になるとタイムパラドクス的な話にもなってきて、いくつもの時系列の出来事に混乱してきて心地よい。
「交響詩篇エウレカセブン」を観る。45話と46話。
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「交響詩篇エウレカセブン」47話と48話。48話、いままで憎たらしかったアネモネに泣かされたよ。
『グラーグ57』上(トム・ロブ・スミス 新潮文庫)を読み始める。
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『(500)日のサマー』をTOHOシネマズシャンテで観る。
ちょっと切ない映画だった。最初がいきなり498日目だったか、いい雰囲気の男女。そして突然はカウンタは1日目に戻り、その二人が初めて会う日が描かれる。魅力的な女の子サマー、一目ぼれしてしまうトム。そのあとも、日にちはランダムに進んでいき、デートしている二人、喧嘩している二人、トムに興味を示さないサマー、サマーに話しかけられてウキウキしているトム等々、二人がどうしてそうなったのか、想像力を掻きたてながら話は進んでいく。ファンタジックなわけではないけど、二人の恋愛の過程がだんだん明らかになっていくところとか、運命(だと思った)女の子との日々という点からか、なんとなく『エターナル・サンシャイン』を思い出した。
ハッピーエンドなのかサッドエンドなのか、観ての楽しみだし、解釈によっても変わってくる。でも切ない映画。
昨日から読み始めた『グラーグ57』上(トム・ロブ・スミス 新潮文庫)、前作同様にぐいぐい引き込まれる。昨日は集中できなかったのでほとんど今日から読んだようなものなので、まだ120ページくらい。
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「交響詩篇エウレカセブン」49話、50話(最終回)を観る。
泣いた。この物語は、世界観が最初にすべて説明されないままだんだんに判っていくというものだった。そして最後の最後まですべてが説明されているとはいえない。その上最後はどういう意味なのか、よくわからないまま終わり、終わってからその意味を考えさせられる。いくつもの謎は視聴者なりに解釈するしかなくて、その解釈には一つの答えがあるわけでない。作者としての答えはあるのかもしれないけど、物語だけでは一つの答えが出せないように思える。そういう解釈の余地はアニメでは久しぶりだったので結構戸惑ったけれど、面白い。
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今月は日記を停滞させないようにしようと思っていたけど、早くも6日更新なし。
1月からはまっている「交響詩篇エウレカセブン」を毎日2話ずつ観ているのと、最近家で晩酌に日本酒を飲んでいてすぐ眠くなるのが敗因かもしれない。1日からして、よく眠れなくて睡眠不足のところにエウレカセブンを観て呑んだら眠くて0時までに寝てしまったという体たらくだ。そして1日書き損ねると、古い日付から更新しようと思って停滞していくといういつもの悪循環である。
というわけで、日付にこだわらず今日の日記から再開。
9時起床、雑用で半日潰す。午後というか夕方くらいからは木曜から読んでいる『グラーグ57』上(トム・ロブ・スミス 新潮文庫)を読む。
夜、『Dr.パルナサスの鏡』をMOVIXさいたまで観る。
テリー・ギリアムの最新作なので楽しみにしていたが、期待通りの面白さだった。テリー・ギリアム作品にも好みの合う合わないがあるけれど、これは好みに合うタイプの作品だった。ヒース・レジャーが撮影中に死んで、それをジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルが代役したというので話題になっているけど、この配役もなかなかよかった。一人四役ではなくて、四人一役という普通では考えられない配役だが、最初からそういう配役で考えていたかのような出来になっていて違和感がない。もちろん実際には、ヒースの急死によって、辻褄を合せるために脚本を変えたり撮影上の工夫を余儀なくされる苦労をしているのだろうが。
話はパルナサス博士の鏡という大道芸のような見世物から始まる。インチキの店者ではなくて、大道具の鏡の向こうに行くと、その人の夢の世界へとはいってしまうのだ。そして、その夢の世界に入った人は選択を求められるが、パルナサス博士と悪魔の見せる世界を選択するのか、博士と悪魔が賭けをしている。そもそも博士は何者なのか、何故悪魔と賭けをしているのか、その賭けと博士の娘はどんな関係があるのか、だんだんに判ってくる。そして首吊りを助けられた男(ヒース・レジャー)がその賭けに関わってくる。だんだんに判ってくるが、結構疑問は残ったまま終わり、何か伝説などの引用やなぞらえている話があるのかなと思う。『ファウスト』なんかも思い出したが何か関係があるのかどうか。いろいろ疑問があるので、その意味を考えているうちにだんだんまた観たくなってくる。
映画が終わり、ラストクレジットのあと明かりがつくまえに、携帯電話の着信音があちこちから聞こえてきて、何か最後に出てくるのかと思ったらそのまま何事もなく明るくなった。聞いた話では、ヒース・レジャーの映画の中の携帯着信音で、彼を偲んでいるとか。
過去の日記は、1日の分だけ書く。
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先週から予定していた臨時休業、昼近くまで眠る。
夕方から外出。歌舞伎座に行き、「二月大歌舞伎 夜の部」を観る。演目は、「壺坂霊験記」「高杯」「籠釣瓶花街酔醒」。「十七代目中村勘三郎二十三回忌追善」となっているので、昼の部も含めて十七代目勘三郎にゆかりの演目が多く、当代勘三郎が演じていたりする。「壺坂霊験記」は三津五郎、福助。「高杯」は勘三郎が次郎冠者で高下駄のタップダンスを踏む。「籠釣瓶花街酔醒」も佐野の商人を勘三郎が演じて、玉三郎演じる花魁八ツ橋にいれあげて最後には身請けしようとするという話。明るい陽気な話で始まり、暗転悲劇を迎えるのだが、2時間もあるように感じないくらい面白かった。
読書は『グラーグ57』上(トム・ロブ・スミス 新潮文庫)の残り少しを読み終える。レオは危機また危機を乗り越えてグラーグ57(第57強制収容所)に辿りつくが、そこで致命的な危機に陥る。救いの手がなんとか辿りつくかと思いきや、その望みが断たれたところで上巻終わり。続きがものすごく気になる。
「ブラッディ・マンデイ」3話、「左目探偵EYE」2話(一週遅れ)を見る。
過去日記、2月2日分を更新。
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午後、家の近くで打合せがあり夕方には帰宅。なぜかものすごく眠く、18時から2時間半ほど仮眠をとる。
夜、「左目探偵EYE」3話を録画で見る。
『ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士』上(スティーグ・ラーソン 早川書房)を読み始める。
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『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』をヒューマントラストシネマ有楽町で観る。
水曜のせいか満員で驚く。気になる原作のイメージとのギャップだが、リスベットはイメージ通り、ミカエルは年食い過ぎという印象。というか、ミカエルの仲間たちはみんな歳が原作を読んでいたイメージからすると老け過ぎている気がした。原作では、ミカエルはプレイボーイというか恋愛に積極的で、編集長のエリカ・ベルジェとも関係があったりするけど、そういうエピソードからするとみんな年齢が高すぎる感じがした。
時間は2時間半くらいあったわりには、長くは感じなかった。それなのに物足りなさを感じてしまったのは映画の問題というよりは原作の重厚さのせいかもしれない。原作でものすごく書きこまれていることが、映画では思いっきり省略されている。上下2巻だから、全部のエピソードを描いたら12時間くらいになってしまうだろう。むしろ2時間半にまとめていることは評価すべきことなのかもしれない。しかし、原作を思い返せば思い返すほど物足りなく感じてしまう。リスベットのハッカーぶりとミカエルとの関係についてはもうちょっと不覚描いてほしい感じがした。
『ミレニアム』は既に続編が映画化されていて、本編の後に「特報」として次回作の予告が流れた。『ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士』上(スティーグ・ラーソン 早川書房)の訳者あとがきによれば、2作目と3作目はテレビドラマとして作られたが、映画1作目の反響が大きく映画としても上映されることが決まったとか。
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『抱擁のかけら』をMOVIXさいたまで観る。
ペドロ・アルモドバル監督の新作を久々に観る。そして相変わらずペネロペ・クルスは美しい。ペネロペ・クルスって、いつも美しいけど、嫌な女度の高い役が多くて共感しきれないことが多いが、今回は比較的悲劇のヒロインっぽくてそんな面でもいい。女優の役というのも、美しさとエキセントリックさを自然に感じさせるともいえる。
現在と過去が交錯するので、冒頭部分と人物関係で少し混乱する。あとになってみればそんな複雑な話ではないのだが、この混乱も狙ってのことなのかもしれない。過去の悲劇の結末が判るのはあとの方で、結末では失われた映画の再生という希望的な終わり方をさせている。そこで再生されるのは映画だけでない。
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20時過ぎまで仕事をしたあと、仕事仲間と飲みに行くことになる。居酒屋で23時半くらいまで飲む。帰りの電車が、人身事故の影響で止まる。結局50分足らずで着くはずのところ、2時間以上かかって帰宅。酷い目に遭った。
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オリンピックが始まる。開会式をテレビで何となく見て過ごす。スノーボーダーがワイヤーで宙に浮いているのを見て、エウレカセブンだと思う。テレビがついていたので開会式は何となく見たけれど、競技はほとんど見ないと思う。いつものことだが。
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『ラブリーボーン』をMOVIXさいたまで観る。
『ロード・オブ・ザ・リング』前からのP・ジャクソンファンとしてはちょっと違うものを想像していた。殺された娘が生きている家族に犯人を知らせて、事件が解決するホラーミステリのような話だと思っていたのだ。予告でもそんなことを言っていた気がするのだが誤解だったのだろうか。実際には、死者から生きている人たちに明確なメッセージは伝えられない。特別な感性のある人には何かがあることを感じ取れたり、残された家族が死んだ娘がそこにいると感じたりするような程度である。そして、死んだ娘の方は天国と地上との狭間の幻想的な世界で、地上の生活を垣間見たりする。死後の世界が存在するという人が映像化しそうなスピリチュアルムービーっぽい気がした。
とはいえ、殺されるまでの出来事とか、犯人に気づいた妹が証拠を探して犯人の留守中に家に入ってしまうところとか、スリリングなところはスリリングだった。だけどなんかカタルシスがない。観客にはかなり最初の方から犯人が明らかになっているので、死者の気持ちが伝わらないのははがゆいし、あれがきっかけで犯人が判るんじゃないかと思っていてもスルーされてしまう。それから、残された家族も娘の死でうまくいかなくなったりするが、死者の思いとは関係なく自ら立ち直っていく。それはそれで正しいのだけど、それなら死んだ娘の側を描かなくてもいいんじゃないかと思ったりした。
ものすごくすっきりしない感じがしたのだけど、不思議と2時間もの長さを感じなかった。って結局は面白かったってことなのかな。
夜は、「ブラッディ・マンデイ」第4話を見る。
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20時半まで仕事。帰宅して、「左目探偵EYE」第4話を録画で見る。
『ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士』上(スティーグ・ラーソン 早川書房)を少し読む。第2部で終息したと思っていた話が、続く展開にも唸らされたが、上巻半分くらいまで読んだところでえっそう来るのというまたまた予想外の展開に驚く。一気に読みたいような、それでいて読んでしまうのはもったいないような感じ。
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21時まで仕事。最近少しずつ忙しい。
帰宅してテレビをつけたら、オリンピックのニュースをやっていた。スノーボードクロスという競技に出ている選手に「ホランド」という名前の人がいた。これ、『交響詩篇エウレカセブン』の主要登場人物の名前なので、やっぱりエウレカセブンを思い出す。レントンとかエウレカっていう選手は出てこないのか。
『ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士』上(スティーグ・ラーソン 早川書房)が佳境に入ってきているので、夜中に読み始めたら止まらなくなり、4時半までかかって上巻を読了する。リスベットがようやく本領発揮し始めて、今後の展開が気になる。
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