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2003年1月後半
昨日書いた『坂口尚短編集』についてであるが、早速「坂口尚氏の小部屋」の方に『坂口尚短編集』についてのお願いが載った。これはうちにも届いたDMの打ち込みである。「坂口尚氏の小部屋」の坂口尚BBSからROJIXへのリンクがあった。そこを読むと、僕がこの件を紹介すると共に応援メールを送ったかのように読めるのだが、応援メールを送ったのは別の人たちである。気持ち的には応援メールを送りたいくらいなので別にいいけれど。
あと、『黄泉がえり』(梶尾真治 新潮社 bk1/amazon)を読む。3分の2くらい読んだ。このペースで行くとあと3日で読み終えられるのだが。
夜、茗荷谷の串揚げ屋に行って飲む。そうしたら、他の客と話している店長の話を聞いていると、『AIKI』のモデルになった先生が飲みに来るようである。壁にも『AIKI』のポスターが貼ってあったりして。
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更新した覚えがないのに、トップページの更新がアンテナに拾われている。変だと思ったら、掲示板の最新発言を5件表示しているが、そのときに最近48時間以内の発言には「new!」を表示していた。それが消える瞬間にアンテナが拾うのだ。というわけで、トップページの「new!」表示は取り外す。
『黄泉がえり』(梶尾真治 新潮社 bk1/amazon)は同じペースで読んでいて、5分の3まで読む。
bk1からオススメ評者の一覧に登録したというお知らせをいただいた。そこで、左のツールバーのbk1のところにオススメ評者へのリンクをつけてみる。オススメ評者とかいいつつ、実に3件しか書評がなかったりする。しかも、オススメ評者として登録してよいかというメールが届いたときには1つしか書いてなくて、喜んで一覧への参加同意をしたあとに慌てて書評を投稿した。書評一本でオススメ評者にしていただいたので、もっと頑張って投稿しようと思っている。我ながら単純だね。
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昼間はサイトの保守。いろいろやっておきたいことがあるのだが、あんまり進まない。
読書の方は、『黄泉がえり』(梶尾真治 新潮社 bk1/amazon)で、相変わらず同じペースで読んでいて、5分の4まで読み進む。今日は佳境に入って一気に最後まで読んでしまうかなと思っていたのだが、そうでもなかった。小さなエピソードが繋がり始めてあと数ページ読んだらそのまま一気に最後まで読んでしまいそうだったのだが、その手前で止めてしまった。映画版『黄泉がえり』の方は今日から公開している。上映期間はなんでも3週間限定みたいなので急いで観に行かないと。
「坂口尚氏の小部屋」の坂口尚BBSを見ると、チクマ秀版社のサイトに坂口尚短編集申し込みページができているとのこと。早速申し込みする。4巻まで持っているので、5巻のみ申し込むが、これで1500人の申し込みがあるのか心配だ。締め切りは2月末、さてどんなことになるのだろうか。
『マイノリティ・リポート』の感想にこの映画はいろんなSF映画のパロディではないかと書いたが、eiga.comの『マイノリティ・リポート』の特集記事に引用について書かれていた。そこでは、プリコグの名前が有名なミステリー作家の名前であること、『マルタの鷹』等の映画、キューブリックの『アイズ・ワイズ・シャット』、『時計仕掛けのオレンジ』、『2001年宇宙の旅』、『ブレードランナー』、ヒッチコックの『ダイアルMを回せ!』、『サイコ』、『海外特派員』などの場面をあげている。僕があげたのは一つもないし、逆にここであげられているのはプリコグの名前は除いて、ほとんど言われてもピンとこなかった。自分の思ったのも、似てると思った元映画を観なおすとそうでもないのかもしれないが。
夜、昔のチャット仲間とチャットをする。某業界の裏話など聞いて、ちょっと驚く。
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サイト更新のための作業をする。どうも気力が出ず、サイト更新のための作業のはかどらないし、他のことにも手が出ない。ちょっと疲れているみたいだ。午後は出かける予定だったが、無理をせず休養することにする。とはいえ、仕事もしたりして純粋には休めていないが。
『黄泉がえり』(梶尾真治 新潮社 bk1/amazon)読了。面白かったが、怒濤の結末を想像していたがそれほどでもなかった。感想は溜めるとまた書きそびれそうだが、やはり書く時間がないので先延ばし。
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梶尾真治の古くからの読者として、梶尾真治はリリカルで叙情的なSF短編の名手であり、その一方で残酷だったりばかげた笑いに満ちた短編も書く器用な作家という印象をもっている。そしてそのどちらの場合もSFらしいセンス・オブ・ワンダーに満ちた世界を繰り広げてくれる作家である。
話はタイトルの『黄泉がえり』通り、黄泉から死人が帰ってくる現象が、熊本地方で起こり、それによって巻き起こる出来事とその行方を描いた話だ。死者の甦りということで、ホラーという括られ方もしているようだが、純然たるSFである。前作の『OKAGE』も、不可解な子供の大量失踪が立て続けに起こり、「お陰参り」に例えて「OKAGE現象」呼ぶという話のためか、やはりホラーとかホラーファンタジーと呼ばれていた。別にジャンルを何にしたからといって面白いことには変わりはないのだが、少しばかりホラーめいた題材だとなんでもホラーと呼んでしまうホラーブームは気に入らない。そんな流行廃り、ジャンルの括りに関係なく面白い小説なのだから。
梶尾真治の二つの資質、叙情的な部分とブラックユーモアの要素とでは、前作の『OKAGE』が後者の要素が強くエンターテイメントに徹していたのと対照的に、『黄泉がえり』は前者の叙情的な要素が強い。死者が甦り、自分たちの元に返ってきたときに人々はどういう対応をするのだろうか。もちろんゾンビのような姿で甦れば別だが、生前の元気な姿で戻ってきたら。そんなバカなことはないと否定するかもしれないし、驚くだけかもしれない、パニックになるのか、あるいはすんなりと受け入れられるのかもしれない。この物語で死者がどう受け入れられていくかは読んでのお楽しみにしておくが、それが「あるいはそういうものかもしれない」と思わせるように描かれる。
甦った人たちとそれを迎える人たちの間に巻き起こる事件は、ユーモラスであり滑稽でちょっぴり悲しい。そしてそれは本人達には天地のひっくり返るような出来事であるが、ごく日常のちょっとした出来事のようにあくまで淡々と描かれている。悲しい出来事もその悲しさを大げさに盛り上げようとはしない。あくまで叙情的に静かに悲しさを描く。だからこそ感動があり、そして人が人を想うということはどういうことなのか考えさせてくれる。
[ 『黄泉がえり』 梶尾真治 新潮社(bk1/amazon) 2003/1/19 ]
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どうも眠りが浅くてあんまり眠った気がしないうちに朝になっていた。おまけに、ちょっと鼻づまりのような感じと倦怠感。もしかしてついに風邪かと思いながら憂鬱な気持ちで出かける。
そして今日も慌ただしく過ごした一日。夜には軽く頭痛を感じて疲れた感じがする。帰りの電車で『劫尽童女』(
恩田陸 光文社 bk1/amazon)を読み始めるが、全然頭に入らなくて活字を追っているのに全然別のことを考えている。そのうち、ふと気づくと意識を失い結局20ページくらいしか読めない。今日はもうダメだ。
家に帰ると劇団解体社から次回公演「DEATH IS LIVING −死ぬがままに−」のDMが届いていた。公演は3日間3公演しかない模様。行ければ行きたいところ。
昨日の「うたかたの日々」に『黄泉がえり』の感想を追加。
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『ロード・オブ・ザ・リング』のアラゴルンことヴィゴ・モーテンセンがサイン会をするという話は耳にしていたが、それが明日18時からタワーレコード渋谷店でやると知る。18時というのはいいとして、サイン会参加券を配るのが当日午前10時から対象商品を買った人対象だという。今の時期、18時に渋谷に行くのも実は困難なのだが、整理券が朝10時からじゃ無理じゃん。全く。
帰宅して、Rojix Antennaの巡回で見かけた上の記事の話を書いていたらYahoo! メッセンジャーでチャットに誘われる。この間久々にニフティ時代のチャット仲間とYahoo!チャットで話したのだが、そのときの友人ともう一人の計三人で話す。前回、ボイスチャットを初めて試して驚いたのだが、今日はビデオチャットを試してさらに驚く。VAIO C1を持ってる友人がビデオを繋いで見せたのだ。うちのC1は昨日から仕事場に起きっぱなしで送信が試せなかったのが残念だった。IP電話が実際に使われているのだから驚くに値しないのかもしれないが、テキストでチャットしていた時代から思うとやはり驚く。ビデオも繋がるとなると、テレビ電話だしね。
そんなわけで、1時間くらいチャットをしてしまい、風呂に入ったらもはや3時前になっている。読書は昨日に引き続き、『劫尽童女』(恩田陸 光文社 bk1/amazon)で、ようやっと5分の1を読んだだけだ。
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今まではC1にYahoo!メッセンジャーを入れてなかったのだが、インストールしてみる。昨日、友人がC1からビデオ中継していたので試してみたくなったのだ。C1-Rという確か二代目のC1でかなり古いのだが、それでもちゃんとビデオの取込みができる。繋いでおいたら友人からメッセージが届いたので、早速ビデオ中継を起動してこちらの様子を見せる。机の上のペンギンとかアリスとかカレンダーとか窓の外の夜景とか。
『劫尽童女』(恩田陸 光文社 bk1/amazon)を今日も1章だけ読む。タイトルの『劫尽童女』というタイトルからは全然想像がつかなかったが、エンターテイメント指向のSFアクションものといっていいようなジャンル小説である。今までの恩田陸の作品傾向からするとちょっと意外な感じだ。ただ話の展開は時系列を錯綜させていたり、いろいろな謎を説明しないまま話が進み次第に輪郭が浮かび上がってくるあたりは恩田陸らしいのだが。
なかなか時間がとれず、ここに書いていることも退屈な日常の繰り返しになっているが、しばらくこんな感じかもしれない。一方で、まだ先だが、3月以降はちょっと状況が変わりそうな気配。
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曇り空でちょっと危ないかなと思ったのだが、傘を持たずに出かける。傘だけでなく、本も『劫尽童女』は置いてポケットに入るものを持っていく。そして上野の乗り換えで牡丹雪が降っているのに驚く。神田で降りたあと、駅に近いコンビニに飛び込み傘を買う。適当に買ったのは三つ折りの折り畳み傘で、これは閉じておくだけという中途半端な状態を許してくれない傘だった。なんとなくそんな気はしたのだが、実際使ってみてわかった。いざというときの予備にはコンパクトなのでいいが、普段使うには不便だと思う。買って後悔するがもう手遅れ。
ポケットにはいる本として、今日持って出かけたのは森博嗣の『虚空の逆マトリクス』(講談社ノベルス bk1/amazon)。最近はもう森博嗣もいいかなという気がして、前作『赤緑黒白』は買ってなかった。『虚空の逆マトリクス』は短編集なので、ちょっと読んでみるかという気になって購入。まずは一編「トロイの木馬」を読むが、コンピュータにアクセスしてヴァーチャル空間で過ごすこと−−仕事やデートなどの時間を過ごすことが当たり前になっている近未来に起こるハッキング事件の真相を追う。ストーリー以前に、設定とその描写が面白い。しかしそのまま単純明快なミステリには終わらない。ねじくれた迷宮のような物語。
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眠い一日。帰りの電車の中で本を持って立ったまま寝ていたら本を落とした。こういうのすごく恥ずかしい。ハッと目を覚まして、本を拾い上げたそのあとのリアクションに困る。
読書は『劫尽童女』(恩田陸 光文社 bk1/amazon)を読む。今日も一章だけ読んだので、あと一章で読了。
夜は新宿武蔵野館で『オーファンズ』(監督ピーター・ミュラン)を観る。なんとも無茶苦茶な映画で面白かった。
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母親の死を迎える4人の兄弟。想い出に自分の髪を一房切り取り棺桶の中に入れる。みんな目立たない襟足あたりの髪を切るが、長男のトーマスは頭の真正面にばっさりとハサミを入れる。車椅子に乗った娘シーラがお別れのキスを望み、二人がかりで抱え上げて棺桶の中の母親にキスをさせる。厳粛な母親の死を悲しむ4人の兄弟達の姿なのだが、何かちょっとずつピントがずれたような感じがする。そして嵐の日に兄弟4人が母親にしがみついてひとつのベッドの中で震え、母親が優しい声をかけている回想を挟まれる。タイトルの『オーファンズ』は、「みなしご」の意味らしいが、してみると母親を亡くして「みなしご」になった4人の兄弟ということなのか。みんな見かけは立派な大人なのに、母親の死の悲しみにみんな壊れて子供に返ったかのようだ。
物語は、その夜から翌朝の朝10時の葬儀までの出来事を描いている。酒場で父親になった喜びを歌う男に続いて、トーマスが母の死を告げて歌い始めるがいつしか泣き始めて歌にならない。次男のマイケルは、その間も笑っている店の男に殴りかかり、その騒ぎで腹を刺されてしまう。だがマイケルはそれを仕事中の事故として労災を得ようと病院に行かずに深夜の街を彷徨う。三男のジョンはマイケルの仕返しをするのだと息巻き、銃を手に入れようとする。トーマスはシーラとともに教会に戻り母を見守って一晩過ごそうとするが、家に帰りたいというシーラがあばれてマリア像が倒れて砕け散ってしまう。トーマスは一人でも帰るという車椅子のシーラを追い出してしまう。4人の兄弟はそれぞれ自暴自棄になり暴走し、それに奇妙な偶然が重なりとんでもないことが次々に起こる。
ブラックコメディというか、決して笑えない事態の連続なのだが滑稽で、しかもエキセントリック。あんまりに無茶苦茶なんで、一体どうなるのか想像もつかなくて、最後までハラハラしながら笑った。
[ 『オーファンズ』 監督ピーター・ミュラン 新宿武蔵野館 レイトショウ 2003/01/23 ]
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トップにYahoo!メッセンジャーのオンライン表示をつけてみた。
Yahoo!メッセンジャー自体はインストールしてからもうだいぶ経っている。元々場所の離れた人との仕事の打ち合わせに使用していたのである。個人的ユースとしては試した程度でほとんど使っていなかったのだが、この間チャットで使ってから昔激しくチャットした仲間といろいろ実験してから面白くなった。Yahoo! JAPAN IDをプロフィールに書いたついでに、オンライン表示をつけてみたのだ。
しかし、ログアウトしなくてもオフライン表示になっている時間が多い。接続環境の関係なのだろうか? 実際とこんなに一致しないのでは意味がないのでしばらく様子を見て、改善されないならはずすつもり。
ということで、しばらく様子をみているが、ずっと繋いでいるのに表示はオフラインのまま。全然だめじゃないか。
昼間、レイチェル・リー・クックの『シーズ・オール・ザット』をDVDで観る。レイチェル・リー・クックは可愛いねぇ。
夕方、食事に出かけて戻ってから一眠り。起きてから、トップページをもう少し変えようかと思っていろいろ試行錯誤している。とりあえず、「うたかたの日々」最新を1日分にして、横においていた「うたかたメモ」と「ROJIX掲示板」をメインのスペースに持ってきてみた。こちらもちょっと様子をみてみる。
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学校のヒーロー、女の子たちの憧れである生徒会長ザックは、休み明けに学校に来てみると彼女に振られてしまう。仲間との口論の勢いで、どんな女でもプロム・パーティのクイーンにしてみせると豪語するが、仲間が指定したのは学校一のイモ、レイニー(レイチェル・リー・クック)だった。ザックはレイニーに声をかけるが、レイニーの方は誰もがうらやむザックに対して素っ気なく断ってしまう。断られたザックはレイニーを何とかデートに誘おうとするが、次第に真剣にレイニーに惹かれていく。
レイチェル・リー・クック扮するレイニーは、アート指向で画を描いているが、その画は暗くて自閉的だ。美術の授業で先生にも「心を開きなさない」といわれている。容姿に関して言えば、絵の具に汚れても気にしないし、化粧にも気を遣わない、コンタクトが嫌で眼鏡をかけている。とはいえ、映画の嘘と言ってしまえばそれまでだが、性格の陰気さは別としても、容姿については眼鏡をかけていてもレイチェル・リー・クックは可愛いのだけど。
そんなレイニーが変わるのは、ザックとつきあうことで、心を開くようになるからで、容姿についてはパーティに行くために眼鏡をコンタクトに変えて、髪型を変えて、化粧をしてドレスを着たら、みんなが目を見張る女の子に大変身。この辺の単純さは、この手の映画のお約束として単純に受け入れる必要がある。映画の終わりの方でレイニーが「『プリティ・ウーマン』のジュリア・ロバーツになった気分」という台詞があるが、基本は『プリティ・ウーマン』『マイ・フェア・レディ』の学園版なのだ。そうなると、話は決まりきったストーリーになりがちだが、ちょっとしたところで予想外の展開を盛り込んでいて楽しめる。いろいろ不満もあるのだが、レイチェル・リー・クックが可愛いのですべて許す、という感じの楽しい青春映画だ。
[ 『シーズ・オール・ザット』 監督ロバート・イスコーヴ DVD 2002/01/25 ]
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昼頃起きたのに、食後夕方まで炬燵で居眠りしてしまった。昼に起きたときに、肩こりを感じてひどく疲れを感じていたので、休養の意味では寝てしまったのはよかったのかもしれない。ネットを巡回し、お茶を飲み、一息ついたところで映画を観に出かけることにする。
あと1章を残すばかりの『劫尽童女』(恩田陸 光文社 bk1/amazon)をもって出かけ、電車の中で読むが、行きの電車で読了。代わりの本を持たずに出たのは失敗だった。
新宿で『黄泉がえり』(監督塩田明彦)を観る。前の回は立ち見も出ていたようで、6時35分の回でもほぼ席が埋まっているようだった。『黄泉がえり』のあと、テアトル新宿に行き、『呪怨』を観る。奇しくも、二作とも伊東美咲が出ていた。伊東美咲って知らなくて、「さらりとした梅酒」の女の子だ、と思ってた。
家に帰ってネットを巡回。「空の蒼さを 見つめていると」で、『鳥姫伝』(bk1/amazon)の続編が既に本屋に並んでいるというので、早速検索する。続編は『霊玉伝』(バリー・ヒューガート ハヤカワ文庫 FTbk1/amazon)らしい。『鳥姫伝』が面白かったので、続編も早く読みたい。ネットで注文してしまおうと思ったが、送料無料は1500円以上なのでカート止まり。『鳥姫伝』の面白さについて過去の日記をリンクしようと思ったけど、ほとんど感想らしいことは書いてなかった。読み始めは取っつきにくく、読み始めたら面白かったとかそんなことしか書いてない。とほほ。それでもとりあえずリンクしておくか。だいたい、この辺に書いている。
『シーズ・オール・ザット』の感想を昨日の日付の「うたかたの日々」に追加。トップに最新1日分だけにすると、感想をその日のうちに書かないと消えていくのだった。厳しいなぁ。今日なんか、『劫尽童女』、『黄泉がえり』、『呪怨』と感想を3本書かなくちゃならない。
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タイトルや表紙の画からは想像がつかないが、超能力少女を主人公にしたアクションも交えたジャンル小説である。こういう典型的なジャンル小説というのは、恩田陸の小説としては珍しい部類だと思う。ファンタジー大賞でデビューし、ファンタジーからミステリやSFの狭間を縫ったような小説を発表し続けている恩田陸だが、その小説の形態はよく言えばジャンル小説の持つ型から逸脱し、悪く言えばまとまりの悪い作品が多い。そんな中で、『劫尽少女』は珍しくジャンル小説的な作品だと言える。
『劫尽少女』を読んでいて、まず思い浮かべたのは、近年映画化もされた往年のテレビドラマ『逃亡者』とかスティーヴン・キングの『ファイヤー・スターター』である。その次に思い浮かべたのは大友克洋の『童夢』や『アキラ』。そして最後に思い浮かべたのは、石ノ森章太郎の『サイボーグ009』のような昔懐かしい少年漫画だった。もちろんそれにはそれぞれの理由がある。特殊な能力を持った少女が逃げるとシチュエーション、さらには超能力者の描写から、そして最後にはその物語の背景のどこか漫画的な設定の部分から連想したといえる。例えば、「ZOO」という秘密組織の存在や、主人公遙を助ける高橋シスターが「VOLUME2 化縁」のラスト近くで見せる印象的なシーン。それらには、B級映画のようなノリを感じたが、むしろ昔懐かしい少年マンガの世界が思い浮かべたのだ。
恩田陸はデビュー作『六番目の小夜子』をはじめとして、少年ドラマシリーズに対するオマージュのような作品が何作かある。それに対して、『劫尽童女』の、超能力を持つ少女がその力故に追われ、苦悩しつつ、しかし最後には追っ手と戦うという話は、昔懐かしい少年マンガに対するオマージュとは言えないだろうか。
珍しくジャンル小説的作品だというのは、主人公や主人公を囲む人物達がみな強いキャラクターを持っていて、キャラ小説という印象も強い。これもまた恩田陸作品では珍しいことではないだろうか。このキャラを配置すれば、続編をシリーズ作品化することも可能である。あくまでジャンル小説ではなくジャンル小説的といったのは、『劫尽童女』はジャンル小説として書いたなら最低でもこの倍の長さに膨らむ話だと思う。しかし、恩田陸はこの作品を単純にそういう風には書いていない。5つの章からなるが、それぞれの作品の間の時間は省略され、各章はむしろ連作短編といえるような独立性を持っている。これは季刊雑誌という刊行の間が長い雑誌に連載されたという理由もあるのだろうが、限りなくジャンル小説に近づきながらジャンル小説に終わらせない恩田陸独特のスタンスなのかもしれない。
結末は、昔懐かしい少年マンガが、ただ戦いのシーンだけでなく感動を持って終わったような、充足感を与えて終わる。たった一冊の小説なのに、何冊にもわたって書かれた物語のような充足感がある。これはまた新しい別の恩田陸作品の形という気がする。
[ 『劫尽童女』 恩田陸 光文社 (bk1/amazon)2003/01/26 ]
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怒濤の一日。なんで最近は月曜からこんなに忙しいのか。何がなんだか判らないうちに一日が終わる。いや、簡単に言い過ぎている。午前中どたばたしているうちに、午後打ち合わせで人が来るというので早飯。その午後一の打ち合わせはある種の駆け引き、にこやかな応戦。とりあえず、なんとか勝ちを得て、午後は出かけてここでもちょっとした戦い。そのあとも喫茶店でネゴ、戻ったら夜の8時。さらに資料を作ってふと時計を見れば終電を逃している。なんとなく一日が3時間くらいしかない気もするし、今朝から夜までがずっと続いているような気もする。そんな感じ。うーん、どう書いても愚痴にしかならないのでこれくらいにしよう。
読書は、『虚空の逆マトリクス』(森博嗣 講談社ノベルス bk1/amazon)を読む。「話好きのタクシードライバ」を読んだあとに乗るタクシーは、無口だった。残り2編を続けて読むか、他の本を読むか迷っているところ。
家に帰るとbk1から本が届いていた。『ローレンス・ブロックのベストセラー作家入門』(ローレンス・ブロック 原書房)である。だいぶ前に友人に勧められてD・R・クーンツの『ベストセラー小説の書き方』(朝日文庫 bk1/amazon)を読み、さらに最近読んだスティーヴン・キングの『小説作法』(アーティストハウス amazon)が面白かったので、ローレンス・ブロックが小説の書き方を書いているときたらやっぱり読んでみたくなる。そんなわけで数日前にこの本を知ったところで即購入したのだった。
などと、とりあえず日常の記述をしたところですでに1時50分になった。これから昨日書いていない感想を書けるだけ書いてみる。もたもたしてると、また書きそびれちゃうからね。
実験的にトップページにおいているYahoo! メッセンジャーのオンライン表示は全然当てにならない。ログオンしたての時にはオンラインになっているのだが、ふと気づくとオフラインになっている。接続環境のせいかもしれないが、これでは役に立たないので削除する予定。
『劫尽童女』の感想だけ書く。あと『黄泉がえり』と『呪怨』の感想はまた明日以降書く予定。
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『スーパー・カンヌ』(J.G.バラード 新潮社 bk1/amazon)を読み始める。バラードの原文自体もそうなのかと思われるのだが、妙に読みにくい文がある。だが、内容的には結構面白そうな雰囲気で読むのが楽しみである。
昨日書いた『ローレンス・ブロックのベストセラー作家入門』(ローレンス・ブロック 原書房 bk1/amazon)について書いたら、そのきっかけとなった『ベストセラー小説の書き方』(D・R・クーンツ 朝日文庫 bk1/amazon)を勧めてくれた友人から早速Yahoo! メッセンジャーでチャットのお誘いがある。ローレンス・ブロックの文章作法って面白そうだという話。そんなわけで、時間がないとかいいながら、小説作法とか小説読本、あるいは作家になるまでを書いたエッセイなどについていろいろい話をする。そこで出たのは、いろいろな作家の文章読本の話と、作家になるまでの話というのには、「はずれがない」とか、そんな感じの話。
ちなみに、『ローレンス・ブロックのベストセラー作家入門』は、日本語タイトルだけ見るとセンスが全然感じられなくてローレンス・ブロックという作家を知らなかったら読む気がしないが、原題は「Telling Lies for Fun & Profit 〜A Manual for Fiction Writers」なのである。嘘の付き方って感じでこれだと、なんだか読みたくならない? 日本人には、ベストセラー小説の書き方みたいなタイトルの方が受けるのだろうか。もっともクーンツの『ベストセラー小説の書き方』は、そのまんま「How To Write Best Selling Fiction」なんだが。
あとチャットは小説の話から映画の話、DVDの話などに移って実はまだチャット中。そんなわけで、今日はもう溜めている感想は書けないのだった。
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『虚空の逆マトリクス』(森博嗣 講談社ノベルス bk1/amazon)読了。最後の短編は、犀川&萌絵シリーズの短編。長編のシリーズ中で、結論が出ていない二人の行方がまたちょっと見えたりした。なんだかんだいって、S&Mシリーズにはやられちゃう。
メインの読書は、『スーパー・カンヌ』(J.G.バラード 新潮社 bk1/amazon)の方。あんまり進まない。まだ42ページ。進みは遅いが、読む時間がないだけで面白さはかなりのもの。
今夜もタクシーで帰宅して日記を書いていたらチャットに呼ばれる。ここ数日、毎晩チャットしてるなぁ。
入浴後、追記。実験中だったYahoo!メッセンジャーログイン状態の表示は、あまりに実際と一致していないので削除した。
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森博嗣の短編集の一冊。森博嗣の作品は、長編小説よりも短編小説の方が、森博嗣らしさがはっきりと判る。この短編集も同じで、特に最初に収められた「トロイの木馬」はいかにも森博嗣らしい作品だと思う。
「トロイの木馬」は、バーチャルリアリティが当たり前になり、会社勤めもデートもバーチャルな世界で行い、実際に会うことが少なくなっている未来が舞台である。そこである種のコミニュケーション手段を提供しているサーバがハッキングされる。手段はいわゆる「トロイの木馬」がきっかけになっていて、主人公がだんだんに真相に近づいていき、そして当然のことながら意外な結末が待っている。だが森博嗣らしい面白さは、そのメインのストーリーよりも、この物語の背景になっている未来社会での架空のシステムの描写にある。そのシステムについて書かれていることは、コンピュータハッキングあるいは現在のメールサーバなどの知識のある人には想像がつくけれど、それ以外の人にはたぶんちんぷんかんぷんな話を、「当たり前のように」書いているのだ。「トロイの木馬」については、コンピュータシステムについての知識があるかどうかで、楽しめる割合が全然違ってしまうのである。そういう意味では、これほど読者にとってハードルの高い小説というのも珍しいと思う。そして、そういうストライクゾーンが狭い特殊な小説を書いてしまうあたりが、いかにも森博嗣らしいと感じてしまう。
他に6作収められているが、いずれもミステリらしい起承転結がある。日常の不思議な出来事、ハードボイルド探偵もの、ダイイングメッセージ、誘拐の身代金の受け取りトリック、といったような話がそれだ。しかし、それと別にもう一つ趣向が凝らしてある。回文がたくさんでてきて回文だけでも楽しめるような話やら、幽霊譚になっているものなど。そして極めつけは、最後に収められた「いつ入れ替わった?」で、犀川&萌絵シリーズ長編版で結論の出ていなくて気になる二人のその後が、少しばかり垣間見られる。
そんなわけで、森博嗣らしさを堪能できる一冊である。
[ 『虚空の逆マトリクス』 森博嗣 講談社ノベルス (bk1/amazon)2003/01/29 ]
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眠い一日。
夜、銀座テアトルシネマで、『8人の女たち』(監督フランソワ・オゾン)を観てくる。前に休日に観ようとしたら満席で入れなかったが、それから時間が経っているのと平日の9時20分の回ということで、今日は10人くらいしか観客がいなかった。
『スーパー・カンヌ』(J.G.バラード 新潮社 bk1/amazon)は今日も20ページくらいしか進まない。面白いのだが読む暇がない。電車の中では眠くて読書どころじゃないのが敗因だ。やっぱり、最低限必要な睡眠はとらなくちゃダメだ。
『虚空の逆マトリクス』の感想を書いた。
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今日になって、昨日の「うたかたの日々」を読んだら、見事に箇条書き的な記述なので、苦笑する。昨日もものすごく眠い中、半分反射神経みたいな感じで書いていたのだった。
鈴木祥子の未発表曲3曲を収録したCD-ROMが付録という「CDジャーナル」を買おうと思っているが、本屋に行く暇がなくて未だ手に入らない。昨日行った近所の小さな本屋には置いてなかった。考えてみれば、ここ数日まともに本屋に行っていないな。一日二、三回本屋に行くのが普通だったのに。
読書は今日も『スーパー・カンヌ』(J.G.バラード 新潮社 bk1/amazon)を引き続き読む。もうここ数日読んでいるはずなのだが、まだ5分の1くらいしか読んでいない。そんなわけで今日は書くことがない。過去の感想は溜めていて、昨日の『8人の女たち』の感想も書いていない。なんとかしたいのだが。
夜は今夜もチャットして、3時過ぎ。これから入浴する。
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昼頃起きて、食後本屋に行く。せきぐちさんのwhatwedidonourholidays*(1/28)で知った、付録CDに鈴木祥子の未発表曲3曲を収録している「CDジャーナル」2月号を購入する。今日行った店でも、最初見あたらず、店員に聞こうかと思ってその前にもう一度と確認したら2冊だけあるのに気づいた。最近、大きな本屋に行っていないので、他に何かないかとふらふらと見て廻り、『霊玉伝』(バリー・ヒューガート ハヤカワ文庫 FT bk1/amazon)と『陋巷に在り 8 冥の巻』(酒見賢一 新潮文庫bk1/amazon)を購入する。
駅の構内で中古CDのワゴンセールみたいなのを見かけたので覗いていみる。裕木奈江のCDが目に留まり、『エヴァー・グリーン』、『アラモード』、『森の時間』、『a Leaf』と4枚もまとめてあった。持っていない『エヴァー・グリーン』、『アラモード』を買う。『エヴァー・グリーン』はベスト盤、『アラモード』はGS、ドドンパなどのちょっと昔の音づくりの1枚。あと、モーニング娘はほとんど敵みたいなもんで聴かないのだが、新品で売ってたので『ぜんぶ!プッチモニ』を買う。それと、吉良知彦プロデュースの『七月の雪』(カラク)が新品で並んでいたので救い出す。隣にはダリエもあったけど、みんな救い出すわけにいかないので諦める。
仕事をしながら、パソコンでCDジャーナルの鈴木祥子の曲を聴くが、ディスプレイについたおまけみたいなスピーカーなので音が悪い。とりあえず一通り聴いて、あとでちゃんと聴くことにする。
夜、お茶の水に移動して、劇団解体社の公演「DEATH IS LIVING −死ぬがままに−」を観る。解体社公演もずいぶん長いこと観ているが、このところ見逃して久しぶりのような気がする。お茶の水のアトリエは初めていくところで、公演が3日間しかないのもあってか、今日は満席だった。
開演して炎の光で人の姿が浮かび上がる。解体社は女性中心という印象があるが、そこにいるのは一瞬全員男性かと思い(実際には二人女性が混じっていた)、意外な感じがした。そういう劇団員の違いも含めて、初めて解体社を観てからもう10年弱経つ間にいろいろと変遷してきたと思う。今日も戦争の映像が流れたりして、政治的なメッセージも強いのだが、断片的に発声する言葉の意味と身体運動の関連を結びつけて一つのストーリーを読みとろうとしてもそういうものは指の間からすり抜けるように形にはならない。きわめて主観的な意見だけれど、昔本郷DOKで初めて観た頃の印象に近いと思った。
舞台のあとには、いつもどおりビールで会話する時間がもうけられて、今日は受付を担当していたをるがさんらと話す。文学座の演出をしているという人ともちょっと話した。
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