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2008年8月後半
渋谷O-WESTに、「架空楽団結成30周年記念ライヴ」を観にいく。架空楽団もいつの間にか30周年とかで、もちろん最初から観ているわけではなくて、たしか97年のクロコダイルでのライヴからだけど、それでも11年になる。というのは今書いていて驚いたりして。
前にも書いたかもしれないけれど、ムーンライダーズが好きで、あがた森魚が好きで、コピーしていたら本家がライブにゲスト出演するようになってしまったという、ファンにとっては夢のような出来事が起こっているわけで、「夢は必ずかなう」というのを実演してしまっているバンドである。今回、またまたゲストが次々出てくるのを見ていて、そう思った。でも、その夢に対する力の入れ方が半端じゃないよなぁと思う。
6時半から過去の数々のビデオを流して約20分、このビデオも懐かしく楽しい。そしてメンバーが登場してひとしきり演奏すると、次々ゲストが現れる。二部構成で、途中休憩を挟んで、アンコールもやって、ほとんどムーンライダーズとあがた森魚ファンの祭典みたいな感じだった。
また東京でライヴをしてほしい。次は35周年だろうか。
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「二十面相の娘」第17話「大暗室」を見る。
まずあらすじ。前回の続きで老人についていったチコは地下の実験室に案内される。その車をバイクに乗ったケンが追跡する。ケンはいつも陰ながら見守っているってことなんだろうけど、毎回唐突な登場。このケンの前に突如謎の女が現れてケンの邪魔をする。この女がなんなのかはわからないが、前回チコを襲撃してきた謎の人物と同じような能力を持っているみたいだ。危うくなったケンを別の人物が救うことになる。もう単発エピソードで過ぎ去ったと思って忘れていた第8話「人間タンク」で出てきた女性の研究者である。相棒の研究者は「人間タンク」として常軌を逸した行動をとり死んでしまったけど、女性の方は姿を消したのだった。
その女性研究者のセリフから、ケンを襲ってきた謎の女は人間の能力を強化しているが、女性研究者のように強化が不完全ではないらしい。女性研究者の方は、顔に何やら筋が浮いてしまっているし、精神的にも錯乱状態になる可能性があることは相棒の変化で判っている。そういえば、この研究者も実験を成功させるために「二十面相の遺産」が必要だと言っていたのだった。
一方、明智もチコを連れ去った老人を追っていて、警察に乗り込んで老人を探すようにいう。煮え切らない警察に、明智は老人は二十面相の秘密を知っているかもしれないし、もしかしたら二十面相そのものかもしれないとか啖呵を切る。
それにしても、唐突にいろんな登場人物が登場する。この「二十面相の娘」が物足りないのは、そういう伏線なしで行き当たりばったりな感じの展開のせいかもしれない。
ケンも女研究者も明智も、なんだか登場の仕方が唐突な気がする。例えば明智が二十面相の化けた姿で、チコを探すために警察に来てるとかなら判る。なんでここで唐突に明智が出てくるんだろう。でもそうなのか? この明智は本物ではなくて、二十面相なのか? そういう説明はなかったけど。
話は戻って、地下の実験室。そこで老人やまだ青年時代の二十面相が研究していたのは、「水の第四形態」だということが明かされる。この「水の第四形態」の話は今までにも何度か言葉として出てきている。それを完成させるためには、二十面相が見つけたパラメーターを知る必要がある。二十面相からそれを聞いているはずだと、老人は問い詰める。またまた春華が人質に取られていたことがわかり、チコは前話「暗号」のときから、二十面相が自分に残した暗号を解き続けていたが、その答えを老人に伝える。
だがそれで終わりではなかった。老人の運転手が帽子をとると、その正体は前回チコを襲った謎の人物で、チコを襲ってくる。そこに現れたのは、死んだはずの二十面相だった。というところで次回に続く。
二十面相も唐突に登場するけど、怪人なので彼だけはいいとしても、なんとも唐突な展開だよな。次回は強化人間と二十面相の対決かな。
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『アクロス・ザ・ユニバース』をMOVIXさいたまで観た。
ビートルズの曲だけで作られたミュージカル映画。普通のミュージカルととちょっと違う気がしたが、台詞があって音楽に乗せるのではなく、既にある曲そのものを使っている。なので必ずしも会話的なわけではないので、心の内を独白するように歌ったりして、意外に不自然な感じがしない。もちろん歌う間のリアリティは演劇的なリアリティに変わるのだけれど。あと、ビートルズの有名な曲が使われているというのがミソかもしれない。歌を聴いているのが気持ちいいのである。
逆に冒頭では、一曲歌われずに数フレーズ歌うだけのほんの短い時間で場面が変わってしまい、若干欲求不満を感じた。この調子で映画が作られているのだとすると、ちょっと断片的すぎるんじゃないかと思ったが、その不安は杞憂に終わり、あとはほとんど歌の部分にも満足できたのだけど。
なかなかうまい作りになっていて、途中で主人公の名前がジュードで、恋人の名前がルーシーだったりしたところで、その仕掛けに思わずおかしくなったが、どこであの曲が使われるんだろうとという楽しみが出てきた。途中サイケデリックな映像も入り、実験的な側面も出てきてこれもまた面白い。
音楽も楽しめる青春恋愛映画として、なかなか楽しい映画だった。
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夏休みも終わり、昨日から日常生活に戻る。毎日グータラと過ごして、もう日常生活には戻れないんじゃないかと思っていたが、いとも簡単に戻ってしまった昨日だった。が、やはり急には無理だったみたいで、今日の朝は調子悪く、午前中休養して午後から仕事をすることに。
夜もさっさと帰る。
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日記がすっかり溜まってしまった。ようやく『ダーク・ナイト』の感想を書く。後追い日記で書いていると、だんだん億劫になってくるのがよくない。新しい出来事を、過去の日付を飛び越えて書くのも嫌なんだよなぁ。なのでどんどん滞留していく。新しい日付順に表示しようかと考えたが、それには若干プログラムを直さなくてはならないのが面倒だし。まあ、そのうち追いつくだろう。
読書も停滞気味。今日から『荒野』(桜庭一樹 文藝春秋)を読み始める。
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キヨスクで、「日経ビジネス Associe」2008年 9/2号の特集が目に留まる。「(秘)テク大公開! 成長し続ける人のノート術」というもの。「ノート術」という言葉で思い浮かべたのは、なぜかノートの取り方ではなくて、手帳の使い方だと思い込んでいた。それなので読んでいて、スケジュール管理みたいな話はあまり出てこないなと思ったが、よくよくあとから特集のタイトルを見直したら「ノート術」なのだった。
中身にはもちろん、今話題の『情報は1冊のノートにまとめなさい』の奥野宣之など、いろんな人の「ノート術」が載っていた。特に新しい発見はないが、こうやってまとめてみると、なかなか面白い。
奥野宣之のノート術を試してみて、そろそろ1か月が経つ。A6ノートも2冊目をもうすぐ使い終わる。だんだんに使い方が定まってきたが、奥野宣之の本のタイトルにあるようにノートにまとめているのは「情報」というのとはちょっと違うかなという気がしてきている。携帯サイズのノートも含めて手帳類で取り扱う一番情報的なものというと、やっぱりスケジュールとか住所録(連絡先)だと思うがこれは今も[es]の予定表や連絡先を使っている。ノートに書いているのはむしろ、何でも見たもの聞いたもの、気になったもの思いついたこと、である。何でもかんでも書いたという「ダ・ヴィンチの手帳」を思い出す。
今までもそういうものは、メモとして自分にメールしたりしていたが、ノートに書いた方が分量が書けたり、意識しているせいか書きとめるものが増えている。ケータイメールを書くのがそんなに手間なわけではないのだが、手書きの方がやはり自由度が高い。パソコンやケータイでコピペができるように、ノートもまた紙の貼り付けができる。
そうやって書き留めたものは、すぐにアクセスする情報というよりは、蓄積していく記録となっていく。PCでインデックスを作って検索可能にするということを奥野宣之は言っているが、僕はまだインデックス化はしていない。残したい記録はサイトにこうやって書くことで電子化されていくからインデックスの必要があまりないのかもしれない。ノートには、いろいろな記録が生の素材として残っていく。以前のノートは検索するのではなくて、パラパラと見ることで、思い出し何かと結びつき、時間をおいて発酵するように熟成した何かに変わっていく。そんな使い方になるのではないかと思っている。
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『ベガスの恋に勝つルール』をMOVIXさいたまで観る。
失恋した女(キャメロン・ディアス)と首になった男(アシュトン・カッチャー)が気晴らしに行ったラスベガスで出会い意気投合、酔っ払った勢いで結婚してしまった。翌朝目を覚まして慌てて結婚を取り消そうとした矢先、300万ドルの大当たりを当ててしまった。お金を分けて別れたい二人だったが、裁判所の下した決断は半年間の結婚生活を送ることだった。
というわけで、恋愛コメディ映画=デート映画みたいなイメージでいたら、意外に下ネタが多くてあれっと思った。考えてみるとキャメロン・ディアスの映画ってあまり観たことがない。キャメロン・ディアスってセクシー系だし、明るくっていやらしさを感じさせないところがあってこういう映画が実は多いのだろうかと思った。
下ネタが多いというのは、笑いの三大要素といえばその一つは下ネタだろうし、大人の恋愛のコメディなら下ネタもありなのかもしれない。でも結構下品だよなぁと思った。こんなもんなのかなと思ったが、そういえば少し前に観た『短距離恋愛』では、あの映画でも男は女と見れば誰とでも寝てしまう節操無い男だったし、多少の下ネタは出てきたけどこんなに全編下ネタ満載じゃなかったことを思い出す。アメリカとかだと、どっかんどっかん大爆笑な映画なのだろうか。ときどき、無茶苦茶おかしいところもあったけど、そんなでもなかったのだが。
恋愛映画としては、もう結末が最初から見えているハッピーエンド映画で、バカやってる分だけラストの真面目なシーンがちょっとよかったりした。
原題は「What Happens in Vegas」だが、何が起こったかは本編が終わったあとエンドロールで流れるという面白い趣向。エンドロールが最後まで流れた後に、さらにおまけのシーンが付いていた。
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寒い部屋で震えている夢を見て、寒くて目を覚ます。もう夏は終わったのか。
スピードワゴンの「言われっぱなしはもうごめんだ」の本が気になっていろいろ探しているうちに、『最強の反論力』(工藤浩司 実業之日本社)が気になったので読み始める。全体をパラパラっと見ただけだが。
ちなみに今googleで「言われっぱなしはごめんだ」を検索したら、ROJIXがトップに出てきてびっくりした。(このエントリをアップしている28日現在では、全くヒットしなくなっていた。)
夜『西の魔女が死んだ』の映画を観にいく。
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『西の魔女が死んだ』を新宿武蔵野館に観にいく。
登校拒否になった女の子「まい」が、田舎に住む母方のお祖母さんの家で過ごす日々を描く。お祖母さんの死の知らせが最初に描かれ、そこから回想で田舎の日々が描かれる。お祖母さんは、イギリス人で英語を教えに日本に来て、同じく先生をしていたまいのお祖父さんと結婚した。今ではもうお祖父さんは亡くなっていて、田舎で一人で暮らしていた。学校に行きたくない理由について、母親もお祖母さんも訊かない。お祖母さんは、実は魔女の家系なのだという話と、そのことに興味をもったまいに魔女修行をする。
ジャム作りや野菜を育てたりという田舎でのスローライフ的な日常をたんたんと描く。鶏が襲われたり、近所にちょっと変な感じの男がいるという小さな事件はあるが、むしろそういう事件に心を乱されてはいけないというお祖母さんの言葉があり、再び静かな日々に戻っていく。本当に静かな日々の物語だが、最後に起きた事件の波紋が静まらないまま、まいはお祖母さんの家を離れ帰っていく。そしてお祖母さんの死の知らせ。ものすごく静かな話に、お祖母さんの約束したことがまいに伝わる最後の場面に心が揺さぶられる。
主題歌を手蔦葵が歌っているのは知っていたが、ラストクレジットを観ていたら作詞作曲が新居昭乃だった。そう知って改めて聴いてみると、確かに新居昭乃だ。
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『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』をMOVIXさいたまで観る。
一作目のヒロインマリオンが再び出てくるとか、予告を見ると『レイダース 失われた聖櫃』のラストシーンの続きみたいなシーンがあるので、これは一作目を観てから観たいと思っていた。が、気がつけばもう終了まじかなので、慌てて観にいく。
冒頭、聖櫃の埋もれていった倉庫のシーンから始まるから、これはやはり一作目の続きなのかと思ったら違った。でも、その一作目を知っている人向けのニヤリとさせるシーンなどもあった。
テーマソングを聞くだけで、わくわくしてくるが、物語もいつもながらの緩急自在の展開に満足。若者が出てきた時点で、三作目の話も思い出してもしやと思ったが、予想通りの展開でこれもなんていうか予定調和のようにネタが割れてても満足できる。ワンパターンでステレオタイプな展開こそが、インディ・ジョーンズの面白さなんだと思う。
しかし、インディ・ジョーンズは「伝奇冒険映画」だと思うのだが、アトミック・カフェの実験と結末のSFチックな展開はちょっと違う気がした。少なくとも、後者はそういう可能性はあっても、あそこまであからさまに見せない方がよかったんじゃないかと思うのだが。
エピローグもほほえましいが、これでインディ・ジョーンズシリーズが再開するわけではなくて、長い空白期間を経ての完結編という感じなのがちょっと寂しい気がする。
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「二十面相の娘」第18話「恐怖塔」を見る。
地下実験室での二十面相と謎の老人(かつての恩師の教授)との対決。水の第四形態もその恐ろしさが明らかになる。ほとんどアクションなので、あらすじを書いても仕方がないので珍しく省略。いつも短くまとめようと思っているのに、いつの間にか長いあらすじになってしまうのだが。
この「二十面相の娘」、話がどこを目指しているのかなかなかわからない。今回の話で水の第四形態の話も終わりだとすると、この後何が残っているのか。
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ムービープラスで7月頃放送していたものを録画してあった『鉄コン筋クリート』を観る。
劇場で観たときよりあっさりしている気がした。シロとクロを襲うオカッパ頭の怪人たちとの戦いとか、最後の方のイタチのシーンとかもっと長かったような気がしたのは、記憶の変容のせいか。
クロがイタチにどんどん取り込まれていき、でもそれをシロの心が防ぐというところはやっぱりいいのだが、意外と短い時間だったのだなぁ。
あまり深い感想はない。シロとクロがそこにいるというだけでよかった。また観よう。
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『きみの友だち』を新宿武蔵野館で観る。
重松清の原作は読んでいない。恵美と由香の関係を中心にいくつかのエピソードが描かれる話で、恵美と由香が主人公ではないエピソード−−例えば恵美の弟のはなしなどもあったので、原作はもしかして短編集なのかなと思った。どうなんだろう。
物語はフリースクールに、中原というフリージャーナリストが取材にやってくるところから始まる。取材をしようとしてもなかなか子供たちが心を開いてくれない中で、足の悪い「もこもこ先生」こと恵美と話をするようになる。
恵美の撮った写真の一枚から、その場面へとつながる過去の出来事へとシーンは切り替わる。そうやって描かれるエピソードは、恵美と由香の出会い(小学生時代)、恵美ともう一人の友だち(吉高由里子が演じていた)、恵美の弟ブンと幼馴染の男の子の話、ブンとブンの先輩サトウとの話、そして由香の死。この由香の死のエピソードでは、最後の最後にぐっとくるシーンがある。最近、この手の映画では、最後に映るたった一つのカットに泣かされるっていうパターンが多い。『西の魔女が死んだ』もそんな感じだった。
そして現在の恵美と中原の話が一つのストーリーとなっていて、最後は恵美の写真展を開くことで物語は終わる。
恵美役の石橋杏奈は高校から現在までの5年間くらいを演じているが、年齢が違う恵美を演じているのに不自然さを感じなかった。それと高校時代の友人役で出ていた吉高由里子にとても存在感があって、やっぱり吉高由里子は最近注目だと思った。
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『クローン・ウォーズ』を新宿ミラノで観た。
予告を観たときには、人物がかなり人形っぽいのが気になっていた。しかし、本編を観てみたら意外にそうでもなかった。
アナキン、アソーカ、オビ=ワンなどの主たる登場人物たちの主たる登場人物たちはコミックぽい。オビ=ワンのひげが全くリアルでないのと、アソーカやアミダラの目と瞳が大きすぎる。
それに対して、ロボットや終始マスクを付けている兵士とか、飛行機などの乗り物なんかは実写版のCGとあまり変わらない印象である。いかに『スターウォーズ』シリーズがCGで作られていたかということを改めて感じた。そのせいか、アナキンたちのコミック的な部分がミスマッチな感じはあるのだが、予告より気にならなかったのは単に慣れかもしれない。
ストーリーは、ジャバハットの息子を助け出すというシンプルな話で、『スターウォーズ』本編と関係なく単独でも楽しめる。その分、あまり深みはなかったが。
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『敵こそ、わが友 〜戦犯クラウス・パルビーの3つの人生〜』を銀座テアトルシネマで観る。
「元ナチスの男は、なぜ裁かれることなく、長年自由の身でいられたのか。その謎から戦後史の裏側を暴く、衝撃のドキュメンタリー!」。戦後民主主義の功罪が描かれ、そうなのかと興味深く観ていたが、体調のせいか最近この手の作品をあまり観ていなかったせいか、途中からものすごく眠くなって苦労しながら観る。目まぐるしく変わる写真と字幕が多いのが眠気を誘ったのかも。
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『荒野』(桜庭一樹 文藝春秋)を読んだ。
三部構成だが、第一部と第二部は『荒野の恋』として既に出版されたものを加筆修正したものらしい。そして第三部が書き下ろし。
荒野とは主人公の名前で、山野内荒野がまだ恋とは何かわからないところから、最後第三部の終わりには自分の中の女を意識して終わるという、山野内荒野の恋の物語。とても面白かった。
荒野の父親は山野内正慶という小説家で、女を作ってはその女のことを小説に書いている。その父が結婚した相手の連れ子が荒野が初めて恋を意識する相手である。荒野自身の恋のほかに、江里華と麻美という友達の恋、父親と愛人などの話があって、荒野の恋が浮かび上がってくる。まだ続きが読めるのなら、この後の荒野がどうなるのか読んでみたい。
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『ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝』をMOVIXさいたまで観る。
シリーズ前2作はテレビでなんとなく見ているが、全部通して観たことがない。でもこの手の冒険映画で、しかも今度は中国が舞台というのでほとんど前作の知識とか関係ないだろうと思って観にいく。予想通り、おなじみのキャラらしい人物が何人かいたので、知っていればニヤリとできるようなシリーズファン向けサービス的なものはあったようだけど、別に知らなくても問題なかった。
中華街での派手なカーチェイスとか面白かったが、笑わせるところだと思うのだがどうもいま一つ物足りない。途中説明的な感じがしてしまうのと、単調な感じがしてしまって、エンターテイメントを観ているのに眠くなりそうになった。このシリーズ、相性が悪いのかも。
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読書
52.『孤独の発明』(ポール・オースター 新潮文庫)(継続)
55.『悪夢のエレベーター』(木下半太 幻冬舎文庫)
56.『潜水服は蝶の夢を見る』(ジャン=ドミニック・ボビー 講談社)
57.『荒野』(桜庭一樹 文藝春秋)
映画(劇場)
30.『イノセンス』
31.『ハプニング』
32.『スカイ・クロラ』
33.『ドラゴン・キングダム』
34.『近距離恋愛』
35.『ダークナイト』
36.『アクロス・ザ・ユニバース』
37.『ベガスの恋に勝つルール』
38.『西の魔女が死んだ』
39.『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』
40.『きみの友だち』
41.『クローン・ウォーズ』
42.『敵こそ、わが友』
43.『ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝』
映画(DVD等)
14.『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』
15.『鉄コン筋クリート』
ライヴ
6.架空楽団 結成30周年記念ライブ @渋谷O-WEST
テレビドラマ
・「篤姫」
・「ほんとにあった怖い話 傑作選」
テレビアニメ
・「二十面相の娘」15〜18
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『ハンコック』をMOVIXさいたまで観る。
『ハンコック』を観て思ったことがある。最近アメコミの映画化がものすごく多いが、勧善懲悪の単純な図式で描かれるいい者と悪者の戦いが成立しなくなった時代で、アメコミの映画化は勧善懲悪パターンを今の時代に成立させることができるから流行ったのではないか。しかしアメコミすらも、『スパイダーマン』や『バットマン』のような悩めるヒーローに主流を奪われてきている。単純なヒーローものは今の時代にはやっぱり成立しにくいのかもしれない。いくらアメコミのヒーローだからと納得はできるが、観ているときにはスカッとしてもそれで終ってしまう。
『ハンコック』はその悩めるヒーローの苦悩を真っ向からテーマにしてしまった映画だ。いや、ハンコックのダメさ加減は、ヒーローと言っていいのかすらわからない。しかもヒーローに不可欠な強力な敵もいない。だからむしろ、ヒーローなんて成立しないことをヒーロー映画の背景で描いてしまったといったほうがいいのかもしれない。
つまり『ハンコック』はヒーローものの背景を使った、全く別の物語だといえる。ある意味、作られるべくして作られた映画なのだと思う。そして。もしかしたら、こんなヒーローの苦悩の物語は今後もどんどん作られていくのかもしれない。
なんだかカタルシスのない映画みたいだけれど、いわゆるヒーローものの爽快感はないが、とりあえず結末には爽快感はあるとだけ言っておこう。あと、怪獣もいないのにウルトラマン並みに街を破壊してしまうのが逆にカタルシスだったりして。
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