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2007年12月後半
録画消化は、昨日放送分の「SP」を見る。夜は「風林火山」最終回。割にあっけない最終回という気がした。来年は「篤姫」だが、主演が宮アあおいだし見るつもり。ドラマは来年はもう見ないと思いながら、「ハチミツとクローバー」が気になっている。
映画だが、松山ケンイチが撮影中に怪我をしたニュースで、『カムイ外伝』の実写映画化を知る。監督は崔洋一、脚本は宮藤官九郎。2009年公開と、まだまだ先だが楽しみだ。
読書は『月光ゲーム Yの悲劇'88』(有栖川有栖 創元推理文庫)を読了。「読者への挑戦」が出てきて、おお!と思う。「読者への挑戦」なんて久し振りに見た気がする。意外な犯人というのをかなり期待していたのだが、明らかに怪しい登場人物やミスリーディングさせるような部分が少なくて犯人が明らかになったときに、意外性があまり感じられなかった。結構多い登場人物たちも均等に犯人の可能性があるのが面白さでもあり、その反面意外性の弱さに繋がってしまったのかもしれない。いかにも本格らしい犯人当てだが、もっと違うものを求めていたみたいだ。
すっかり寒くなって、もうすっかり冬。12月も半分終わった。もう今年も終わりだが、まだまだいろいろとやらなければならないことがあり、そしていろいろとやり残したことがありそうだ。
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「ガリレオ」最終回を見る。
若干期待していた最終回であるが、途中まで面白く見ていたのだがクライマックスが爆弾の解除という、マンガチックな展開になってしまい激しく失望。しかもそこで知的な解決を見せるのであれば納得なのだが、知的っぽく見せるだけで全然そうでないものを見せられて、ああこれがドラマの駄目なところだと思った。つまりドラマの平均的視聴者に「一番分かりやすいもの」になってしまうのがどうしようもない事実なのだ。「ガリレオ」ももう終わった。そうはいっても、映画版の「容疑者Xの献身」は観に行くような気はするが。
読書は『Self-Reference ENGINE』(円城塔 早川書房)。まだ30分も読んでいないので、冒頭の辺りをうろうろ。
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忙しい。今日も0時半頃帰宅。DVDレコーダーの空き領域確保のため、録画したドラマのCMカットとDVD焼き。今日はドラマを見ている時間がない。
『Self-Reference ENGINE』(円城塔 早川書房)を半分くらい読む。面白ーい。感想を書く時間がないが、面白い。
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「働きマン」最終回を見る。
前に書いた予想では、田中とちょっと恋愛関係っぽくなるけど今はまずは仕事が大事、みたいな終わり方ではないかと思っていた。半分あたりで、半分ハズレか。今は仕事が大事はアタリ、相手は元彼の新二のまままだ別れても好きというところだった。田中は最初の小憎らしいキャラから、意外にいいやつに変わっているが、恋愛にはならなかった。
最終回で転職というのが一つのキーワードになっていたけど、結末結局残ることを選んでしまう結末にはちょっと残念な気がした。ここはやはり転職だと思う。物語だけ見ていると、転職してまた次の段階にあがっていく松方を見たいし、残る理由の方が薄弱のような気がして、全然納得できなかった。「働きマン」の視聴率とか続編の可能性とか分からないので違うかもしれないが、続編とかスペシャルの絡みもあって転職できなかったのだろうかと勘ぐってしまった。
しかし毎週「働きマン」を見るたびに思い出す人がいる。思い出すというより、想像するというのが正しいだろうか。あの人はこんな感じの人なのだろうかと、よく読んでいるブログの人を想像してしまうのだ。「働きマン」は編集者だが、あの人はWebサイトの開発者らしく、いいサイトを作ろうとして時には頑張りすぎているような気がするのだが、その辺りが「働きマン」に似ているような気がして思い出してしまう。
友人の女性のWebデザイナーも徹夜や何日も家に帰れない生活をしていたりして、仕事にこういう風にのめり込む人って女性の方が多いのかなと思ったりもする。
読書は『Self-Reference ENGINE』(円城塔 早川書房)を終わり近くまで。短編集のように、相互に関係ないエピソードが続いているが、最後に何か一つの話に集約するのだろうか。
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「ジョシデカ!」最終回を見る。
先週の最後に犯人が明らかになった、その犯人との対決になる。最終話の前に犯人を明らかにしてしまっていいのかと思ったが、まあまあの最終回。コメディ、ミステリ、ラブと盛りだくさんなドラマだと思っていたが、結びの台詞で新人刑事の成長物語でもあったことを改めて感じて、最初のちぐはぐぶりはやはり詰め込みすぎのせいだったのではないかと思った。
今クール見ていたドラマはほぼ最終回を迎え、あとはSPと特撮の「ULTRASEVEN X」を残すだけとなった。ようやくドラマ地獄から脱出、このままドラマから離れようと思うが、二、三気になるドラマがあるのは既に書いたとおり。
読書は『Self-Reference ENGINE』(円城塔 早川書房)を数ページ。外出先が近く、電車に乗っている時間が片道5分だと読書にならない。
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働けど働けどなおわが暮らし楽にならざり、ずっとWeb見る。いや、ずっとWeb見てちゃ駄目だ。
なぜかここしばらく忙しい。しばらく暇すぎるくらい暇な時期もあったのに、気がついてみたらいつの間にか忙しい。変だ。何かの呪いだろうか。結局今日も22時半くらいまで仕事して、忘年会シーズンの満員電車で帰宅する。この飲み会ラッシュシーズンにもかかわらず、忘年会と二回と、休みの友人たちとの飲み会の3回しか飲んでいない。映画なんか一本も観ていない。なんでこんなんなっちゃたんだろう。唯一の救いは、久々にWebサイト構築関係の仕事が楽しいこと。毎週一回の打ち合わせが半日から一日がかりの打ち合わせになっても、とても楽しいことか。お客さんが先生というのも面白い理由かもしれない。
読書は行き帰りの電車で意欲が湧かず、全く読まない。帰りは読まないというより、あまりの混雑に読めなかったのだが。というわけで、残り数ページの『Self-Reference ENGINE』(円城塔 早川書房)は今日も読み終わらないまま。
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「お江戸吉原事件帖」最終回二時間スペシャルを見ながら黒白波のお湯割りを飲んでいた。気がついたらソファで眠っていて、寒さに耐えて丸くなっていた。朝の6時だった。寝直す。
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昨日途中まで見た「お江戸吉原事件帖」最終回二時間スペシャルの続きを見る。時代劇にありがちなパターンで毎回一話完結、そういうステレオタイプな話は好きなのだがそれだけで毎週時代劇を見ようとは思わない。ただ、新シリーズなので一話ごとに主人公とその仲間三人のそれぞれにまつわるエピソードがあったりして、ステレオタイプだけれどちょっと捻りがあるような一番好きなパターンで、どうということはないのに結局最終回まで見てしまった。第7話だけ録画を忘れて見逃したけど。
最終回は主人公吉原芸者のおれん(東ちづる)にまつわるエピソードで、第一回からおれんが復讐のため待ち続けていた男、思い人を殺した片腕の男が登場した。片腕の男との話も結末がついて、本当に最終回という感じのいい終わり方だった。
「お江戸吉原事件帖」はその他、前にも書いたが吉原の様々な風習を交えて描いていて、それが物語に舞台を特別な空間に仕立て、いろいろな制約を与えているのが面白かった。例えば、吉原(なか)のことは吉原が解決するといって、吉原男衆たちが自警団のように吉原の中の事件を制圧していく。裏切り者は殺すといって刺し殺してしまったり、死者が出ても翌朝には何もなかったかのように秘密裡に片づけられてしまう。あるいは吉原を仕切る影の人物、惣名主の存在とか(残念ながらこの設定はあまり活かされていなかったけれど)。
この辺りの設定のせいか、ドラマを見ていたら、同じ吉原を舞台しているので隆慶一郎の『吉原御免状』、続編の『かくれさと苦界行』を思い出す。こちらは裏柳生やら家康の秘密など伝奇小説的な要素も強いのだが。
こういう設定を借りてきているのかなぁなどと思っていたら、番組の終わりに原作本のプレゼントが流れて驚いた。驚くようなことじゃなくて、むしろ自然なのだが、原作があるなんてことはスコンと頭から抜け落ちていたのだ。
原作は『四人雀 お江戸吉原事件帖』。しかし原作があるというと、いろいろ腑に落ちるところがある。
前に一言で言えば「吉原版女必殺仕事人」と書いたけれど、仕事人ものならば最後の仕事振りが最大の見せ場だと思うのだが、実はここが弱い。四人がそれぞれの武器などを持って殺しに来るのだけれど、どれもちょっと説得力がない。吉原芸者のおれんの三味線のバチ、バチで殺すならバチでの殺し方があると思うが、最終回などもそうだが立ち回りもしたりして明らかに無理がある。おこう(萬田久子)の紐はどうして紐を自由に使えるのかよく判らない。仕事人的な武器としては一番判りやすいのだが。ひばり(横山めぐみ)は元武家の娘ということで短刀を使うので、これは武器としては正統派だが何の面白みもない。そしてあけみ(小林恵美)の使うのは鈴。鈴を投げておびき出すだけ。最終回では鈴が当たって、額に擦り傷が出来ただけ。つまり舞台装置は面白いのだけれど、肝心のクライマックスが物足りないのである。
原作があると考えると、元々は別に女仕事人のような話ではなかったのに、連続ドラマ化するために、そういうパターンにしてしまったのではないかと思った。そのパターン化に無理があったというか、企画化チームの力不足か安易さか。ただそうだとすると、意外と原作が面白いのではないかという気がしてきた。
話は戻って『吉原御免状』だが、詳細はだいぶ忘れてしまって吉原という舞台をどう使っていたか気になって久々に本棚から取りだして読み始めたら面白くて止まらなくなってしまった。宮本武蔵に育てられた主人公誠一郎が吉原を訪れ、そこで早速裏柳生の者どもと斬り合いになる。が、一瞬の後には殺された死体も血のあとすら消え去り何事もなかったかのように処理されるというエピソードが早速出てくる。
読みかけの『Self-Reference ENGINE』(円城塔 早川書房)も、ちょうど時代劇の話まで読んで止まっている。(読んでいない人には、「SFじゃないの? 何で時代劇なの?」という疑問を持たれるかと思うが、それはまた別の話なので自分で読んで解決していただきたい。)
時代劇や時代小説が呼んでいるのか。
ところで「時代小説」って言っても「時代ドラマ」とは言わず「時代劇」は「時代劇」のままだね。
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『アイ・アム・レジェンド』を観る。原作は古典的SF『地球最後の男』だが、未読だった。この映画化のお陰で新訳で『アイ・アム・レジェンド』(リチャード・マシスン ハヤカワ文庫)として復刊したので、読んでみたいところ。
実際の原作は知らないのだが、聞いていたのは人類が吸血鬼によって滅亡し、ただ一人残された人間の話ということだった。映画の予告では、ただ一人残された人類の姿は描かれても、吸血鬼が出てこないのでどういう見せ方をするのだろうかとずっと興味深かった。しばらくただ一人残された人類らしき主人公の孤独な生活が描かれたあと、人類以外の存在が明らかになる。この辺りから、ものすごく怖い。今まで観たホラー映画でも指折り5本くらいに入る怖さだった。ただ、あとになるが、映画館を出たところですごく期待して観に来たのにがっかりしたというような話をしている人もいたので、この怖さというのは人によってはあまり感じない怖さなのかもしれない。僕が評価するのは、出てくるかもしれない恐怖で、闇の怖さなど心理的な怖さである。襲われて残酷なシーンを見せられても、それは生理的な不快を感じても怖いというのとは少し違う。
静かな孤独な時間と、吸血鬼あるいはゾンビのようなモンスター化したかつて人間だったものと戦いの場面のギャップがまた効果を上げている。
意外だったのは結末に至る展開が、やや宗教的というか神懸かりな展開というか運命的な話として描かれていたこと。思わず、好きなM・ナイト・シャマラン監督の映画を思い浮かべた。ホラー映画だと思っていたが、この結末への描かれ方がちょっと感動的で、といってもお涙ちょうだい的な湿っぽさもなく、あっけないくらいあっさりとした終わり方をする。
予想外に気に入った映画となった。
[ 『アイ・アム・レジェンド』 監督フランシス・ローレンス 新宿ミラノ2 ]
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例によってディスク領域確保。ようやく多くの連ドラが最終回を迎え安息の日々が訪れたかと思いきや年末でまとめて再放送などがあり悩ましい。いや、ドラマはもう見ないんじゃなかったのか。
夕方、クリスマスにはちょっと早いがケーキなど土産に買って出かける。クリスマスケーキって、普通に3000円前後なのね。あんまり高いのに驚く。行列に並んで高いクリスマスケーキを買うのもばからしい気がして、シフォンケーキを買う。一応クリスマス仕様で飾りと蝋燭がついていた。
夜はテレビで放送していた『ナショナル・トレジャー』を観る。酷い出来と聞いていたので、テレビで見るので丁度いいかなと思って見たのだが、予想していたよりずっとまともで面白く観た。いろんな突っ込みどころはあると思うが、宝探しものとしてはツボを押さえた出来ではないか。善玉悪玉も明解で、ほとんど人は死なず、ラブストーリーありのエンターテイメント。いいじゃない、降らないとか言われても、こういうの僕は好きだ。
リンクするのにamazonを検索したら、意外にカスタマーの評価は悪くなかった。酷い出来って何かで読んだ記憶があるんだが、まあいいや。
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上川隆也が金田一耕助を演じる『獄門島』を再放送していたので観る。上川隆也が金田一を演じたものは観たことがなかったし、『獄門島』は金田一ものの中でも好きな作品でもある。
観始めてそうそう、なんとなく違うなぁという感じがする。石坂浩二の金田一に近いような、おっとりのんびりした感じである。でも事件になっても、何となく緊迫感がない気がした。それはいいとして、えっと思ったのは、「きがちがったがしかたない」の台詞がなかったこと。この重要な台詞がないってどういうことだろうと考え込んでしまった。三つ子という設定の三人姉妹をマナカナが二人三役で演じていたが、常に笑いふざけあってはいるが、特に説明もなかったようなので今どきの「不適当な表現」を避けた結果なのかもしれない。
他に、映画かドラマでは鐘がひとりでに動いているのが目撃されていた記憶があるのだが、それもなかった。それから映画では、鐘の下で発見された娘は、鐘を持ち上げたとたんに倒れて鐘の下に転がるが、鐘を支えていた木が外れて首が吹っ飛ぶシーンがあったが、何事もなかった。これは映画のオリジナルなのか原作にもあることなのか。いろいろ気になるところがあって原作を確認しようと思ったら、人にあげてしまったみたいで手元になかった。不覚。
とにかく、『獄門島』については、俳句通りに殺された娘たちの姿が一つの美学になっていると思うが、そういうところが全然足りなくてかなりガッカリした。
夜、クリスマス・イヴに相応しい本はなにかと考えて、以前から興味があった『聖骸布の仔』(ディディエ・ヴァン コヴラルト 中央公論新社)を読み始めようとするが、なんとなく読書意欲が湧かず、開いてページの冒頭を眺めるだけで読み始められなかった。
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クリスマスなのに23時近くまで仕事で、0時を過ぎて帰宅してビールと焼酎のお湯割り。全然クリスマスっぽくない。キリスト教徒ではないので、いいけど。
読書は『聖骸布の仔』(ディディエ・ヴァン コヴラルト 中央公論新社)。クリスマスらしいかと思って読み始めたが、キリストのクローンの話なので、よくよく考えてみたらむしろ冒涜と言うべきかも。まだ読み始めたばかりだが、なかなか面白い。
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年末に向け、加速度的に忙しくなっていく。23時半、終電に間に合わなくなる直前に気づき、仕事を終える。
深夜1時過ぎに帰宅。ビールを飲んで、パスタを茹でて、ビールを飲んで、パスタを食べて、ビールを飲む。
読書は『聖骸布の仔』(ディディエ・ヴァン コヴラルト 中央公論新社)をゆっくりと。
こんな生活はあと何日。
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夕方の打ち合わせで、12月末までの仕事が一件終了。このまま飲みに行くか、真っ直ぐ帰りたいところだったが、山積みの仕事が片づかないため、泣く泣く仕事場へ戻る。時間の経つのに気づかず、終電ギリギリになった昨日の失敗を繰り返さないよう、23時で帰宅。なんとか0時半までには家に辿りつく。明日で仕事納めなので頑張ろう。ふう。
ビールを飲みながらWebアクセス。缶ビールを2缶飲んで、まだ足りなくて黒白波のお湯割りを作る。ああ、もう1時半なのに飲んでいて明日起きられるのか。でも飲まなきゃやってられないよな。
読書は相変わらず、じっくりと『聖骸布の仔』(ディディエ・ヴァン コヴラルト 中央公論新社)を読んでいる。キリストの遺体を包んだとき、その姿が布に写しだされたというトリノの聖骸布に残された血痕から、アメリカのクローン技術でキリストのクローンが作られたという話である。SF的な設定に、ミステリ的というか謀略小説といった感じのストーリーで、なかなか面白い。丁度半分くらいまで読んだところ。今後の展開が全然推測できなくて、どうなるのか楽しみである。
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今日中にしなくてはならないことをバタバタと進める。結局来年に持ち越したものもあるが、一応の終了。17時から飲み始め、二次会へ。深夜に帰宅、何もせずに寝る。
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昨夜飲んで帰ってそのまま昏倒。飲んでる最中にも眠ってしまったくらい、ここ数日睡眠不足気味。7時半に目を覚まし、1時間ほどWebを見たりなにやらするが、そのあと再び睡魔が襲ってきて眠ったら13時過ぎまで眠ってしまう。
遅い朝昼兼帯の食事のあと、昼風呂、DVDレコーダーの空き領域確保など。夕方から早く観たいと思っている『魍魎の匣』や、予想外に良かった『アイ・アム・レジェンド』をもう一回観ようかなどと計画を立てていたのだが、再び夕方から睡魔に襲われ爆睡。
19時頃目を覚まして、あまりに眠りすぎていることに愕然としながら夕食。出かけないならと、黒白波のお湯割りを飲んでいるうちに気がついたらまた眠っていた。
疲れが溜まりすぎたのだろうか、今日起きていた時間を合計しても6、7時間しかないような気がする。一日が無駄に終わってしまってショック! いや、疲れをとったのだからいいのか。そう、いいのだ、と思いたい。
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6時に目を覚ます。ここで寝たら昨日の二の舞と思ってそのまま起きる。もっとも、嫌というほど寝ているのでもう眠くなかったというのも事実である。
8時頃朝食を取っていると、ビデオ録画が始まる。「ごくせん」第一シリーズの一挙再放送があるので予約しておいたのだが、それが始まったのだった。昨日録画した分から見始める。
「ごくせん」は第二シリーズを再放送で見たが、友人の話では第一シリーズの方が面白いということだった。テレビの放送でも、「伝説の第一シリーズ」と銘打っていたので、そういう評判なのだろうか。しかし、まだ7話までだが、意外と第二シリーズよりずっと面白いのかというとそうでもないと思った。第二シリーズでは生徒たちは一新して新しい物語になっているが、似た話が多い。最初一種のリメイクのような作りなのかと思ったくらいだ。たぶん、第一シリーズを先に見ていたら、第二シリーズでストーリーの類似点が物足りなさを感じただろうという気がする。
もうひとつ、第二シリーズの方が、最後にヤンクミ(仲間由紀恵)が戦って終わるパターン化された物語の傾向が強くて、ステレオタイプな強みがある。その分ドラマとしては第一シリーズの方がこなれているといえるのだが。
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『魍魎の匣』を観に行く。
既に観た人の感想を読んで原作とは別物らしいことを覚悟して、期待しないで臨んだのだが、それでもかなりガッカリした。これはあり得ないだろう。原作に忠実に作るのはまず分量からして無理なので、当然物語をある部分を削り、辻褄を合わせて作り替える。でもそれで原作から離れても映画として面白くなれば、それでよいと思う。でも、『魍魎の匣』の駄目さ加減は、そういうのとは根本的に違う。何が問題かといえば、「匣の中の少女」の見せ方だ。「匣の中の少女」の見せ方ですべてを台無しにしている。
順を追って再度振り返っていくと、途中まではそれほど悪くないと思う。以下、内容にも多少触れるので原作を読んでいない人はご注意のほど。
冒頭では、戦時の榎木津(阿部寛)と久保が出会い、「匣の中の少女」の事件の発端を見せる。ここで榎木津が「見える」ようになるくだりも描いていて、原作では京極堂が理屈をつけて説明していたのが『魍魎の匣』だったか忘れたが、榎木津が「見える」ことを説明でなくさらっと盛り込んでいるあたりいい感じの始まりだと思った。
間に「その十時間前」等の字幕一つで、時間軸を並べ替え、女優南絹子の榎木津への捜査依頼、バラバラ事件、御筥様と無駄なく話が続いた後、一気に話が繋がっていくあたりもうまいと思う。映画だけ観ていると、人間関係が判らないという気はするが、この事件の流れを理解する程度には判るのでこれも問題はない。
舞台としての京極堂については、「骨休め」の看板の下がった表をちらっと見せて、あとは座敷で済ませている。あまり座敷の中を描かないので、前作との違和感もさほどない。その分、京極堂裏にある神社を描き、楽しませてくれる。若干、神社への道筋が山のなかという感じがして、中野でこんなに起伏があったりするのかと思ったがこれはまあいい。敢えて不満をいえば、裏手の神社への道筋から描かれて、京極堂近辺の風景と繋がらないし、眩暈坂なども出てこないことか。この間を埋めるには、上海ロケで適当な場所がなかったのだろう。
この上海ロケについては、いい面と悪い面が半々。榎木津が美波絹子(黒木瞳)と会う撮影所の様子などでは結構よかったと思う。しかし、どうにも街の様子やカストリ雑誌を発行する赤井書房近くの風景が合わない。田舎道はどうともとれるのだが、それでもここはどこなのかという気がするし、違和感があるのは街中で、看板だけ変えてもどうも日本的じゃない。酒屋の上の赤井書房など、カストリ雑誌の出版社がこんな広いところを使えるのかという感じ。大体場所がどこだかわからない。奇譚舎は神田だったが、赤井書房はどこだったろう。
登場人物のキャラが違うのはあんまり気にならなかった。役者が椎名桔平に変わった関口以外は前回と同じなので、映画版キャラとして慣れているからだろう。それでも関口が良く喋りすぎではないかというのは気になったが、前作にもましてひょうきんな京極堂(堤真一)や普通すぎる榎木津もまあいい。
ここまで書いたことでは、ちょっとした違和感というレベルでそれほど不満はない。
でもすべては加菜子の治療中の姿が出てきたところで台無しになってしまう。そういえば、加菜子が姿を消す、人間消失の謎も出てこない。人間消失の謎なしには、物語の最後に繋がらないのでこういう見せ方をしたのだろうか。それなら最後のシーンを削ればいいし、残すにしても見せ方というものがあるだろうに。幻想的、耽美的な結末に向けて、そのためだけにこのトリックがあるような物語なのに、美しくもなければ幻想的でもないこんな加菜子の姿を見せるなんて最低だ。
さらにだめ押しをするように、久保の登場が最後の姿を現すと、もう出来の悪いB級SFみたいになってしまう。いや、B級SFは好きなので、いい方を変えるとB級SFにもならない酷さである。映画全体とトーンが違うだろう。頼子の最後も原作のように箱を開けたところで止めてしまえばいいものを、蛇足としかいいようのない出来事が続き、さらにはこれもわざわざ俯瞰でカットを終える。なんだかもうただグロテスクで滑稽なものになってしまう。
原作の最後では「匣の中の少女」の幻想と現実がさらりと描かれる。これがものすごく好きなのだが、既に映画ではこの幻想はうち砕かれている。にも関わらす、匣を持った男のシーンが描かれる。匣に語りかける男に興味を持った少年が、匣の中を覗こうとする。そして次の瞬間、石膏像のトルソーに加菜子の頭がある映像で終わる。これが美しいと思うのか。これもまた滑稽なだけではないか。
原作冒頭にある久保の小説のように、日本人形のように美しい少女の顔がちらりと覗くとかそんな風にすればよかったのに。もうなんだか、とほほ、としかいいようがない。
[ 『魍魎の匣』 監督原田眞人 新宿ミラノ2 ]
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「ごくせん」8話、9話を見る。あと日記、感想書きなど。夕方から出かけて、原マスミの2007最後の弾き語りを聴きに行こうと思っていたが、夕方になっても気力が出てこなくて、このままのんびり年末を過ごすことにする。
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読書
『ゾディアック』(ロバート・グレイスミス ヴィレッジブックス)(継続)
『街の灯』(北村薫 文春文庫)
『月光ゲーム Yの悲劇'88』(有栖川有栖 創元推理文庫)
『Self-Reference ENGINE』(円城塔 早川書房)
『聖骸布の仔』(ディディエ・ヴァン コヴラルト 中央公論新社)
映画
『アイ・アム・レジェンド』
『ナショナル・トレジャー』(TV)
『魍魎の匣』
テレビ
「電脳コイル」「働きマン」「風林火山」「ジョシデカ!」「ガリレオ」「SP」「お江戸吉原事件帖」「ごくせん」(第1シリーズ)
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