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2002年3月後半
失われた記憶
昼頃に起きる。午後はこのところやっているLinuxの環境作りの続きをするつもりだったのだが、食後突然疲れが出て畳に突っ伏したまま記憶を失い、訳の分からない夢を延々見続けるという無限地獄に陥る。
そのLinuxなのだが、Unixと大して変わらないからとたかをくくっていたら、肝心のUnix自体を忘れていたとこの間書いたが、ここ数日いろいろやっていたら、だんだん記憶が甦ってくる。記憶喪失になった人が、自分の名前とか昔の出来事を思い出すのってこんな感じなのだろうかという、奇妙な感覚である。ここでどうやったらいいんだろうと思っているうちに、ひょっこっと手が動いてコマンドを叩くのである。おお、そうだそうだ、そんなコマンドがあったっけ、とか。でも、その延長で、何かこういうときに使えるいい方法があったはずだと思うのだけれど、その先がどうしても思い出せなくて、頭が割れるように痛み崩れ落ちる。(ちょっと脚色あり)
もしかしたら、そんな記憶喪失からの復活が疲れの原因かもしれない。
株始めました。
世の中ペイオフ解禁とか騒いでいて、預貯金は普通預金に集めたりして、利子もあまりつかないようになってしまった。前からやろうと思ってやってなかったオンライン・トレードとか始めてみることにした。
オンライン・トレードがなかなか始められないのは、始めようかと思っても株取引関係の用語って特殊で入り込みにくいのである。今回も、株の入門書を読もうかと思ったけど、入門書のくせに株取引の用語を知っていることが前提みたいな説明ばかりで、本屋で立ち読みで本を開いてそのまま閉じてしまう。
習うより慣れろで、適当にやってればそのうち判るかと思うが、株取引はリスクが大きいだろうと思ってやっぱり知らずに始められない。でも比較的基本用語から説明のある一冊を読んで、なんとなく判ったつもりで、オンライントレードの口座開設を申し込んだ。
ということで、始めましたというか、まだ準備をしただけ。
執行猶予
恐ろしくとんでもない事態に直面していたのだが、今日無事回避された。とはいえ、まだまだ問題は待ち行列を作っていて、単なる執行猶予でしかない。でも、とりあえず、一安心。
今日の購入本
執行猶予が言い渡されたので、喜んで本屋に寄ったら、未読が山ほどあるのにまた本を買ってしまう。
初めて『会社四季報』なるものを買ってみる。やっぱり株をやるなら必要だろう。携帯時刻表みたいなイメージがあったのだが2種類あって、そういう小さいやつの他に、電話帳サイズのものもあった。で、携帯サイズの方を買ったのだが、分厚くて『鉄鼠の檻』の文庫版みたいな感じである。というか、『鉄鼠の檻』が『会社四季報』並というべきか。でも、『会社四季報』の方がサイズが大きいのでまだ自然な感じがする。
それから、ルーディ・ラッカーの『フリーウェア』(ハヤカワ文庫)を買う。ルーディ・ラッカーの新作が(……じゃないな、5年も前の作品なんだから)、ようやく翻訳されたというので話題になっていた。訳者の大森望など、突然Rudy Ruckerファンサイトを作ってる。『フリーウェア』を買ったのはいいんだけれど、これはシリーズ3作目で、2作目の『ウェットウェア』が絶版状態で読んでないのである。
というか、ラッカーの作品はハヤカワ文庫で10冊目のはずなんだが、カバーに書かれている既刊タイトルは『ソフトウェア』だけだ。シリーズの3作目を出版するなら2作目を復刊しなさいよ。中途半端やなぁ。
大森望の訳者あとがきを読んだら、やっぱり前作が入手困難なことに触れていて、「いきなり本書から読んでもそんなに大きな障害は発生しないから気にしないように」って! まあ、訳者としてはそう言わざるを得ないんだろうけれどね。
田口ランディの『コンセント』(幻冬社文庫)も購入。これは中原俊監督で映画化されているので、観る前に読もうと思って買ったのだが、今映画『コンセント』のサイトなどをチェックしてみたら、東京(テアトル新宿)での公開は先週の金曜日で終わっていた。あたた。(ちなみに、サイトは『コンセント』Broad Band サイトが別アドレスであるのだね。)
しかし、今、急いで原作を読まなくちゃいけないのは、『指輪物語』だったりする。20年本棚の奥にしまい込んだまま茶色くなってる文庫本を引っ張り出してきたものの、なんか読み始める気力が湧かない。主義に反するけれど、映画を観てから勢いで原作に突入するか。まだ、混雑してるみたいなので、なんとか挑戦しようとは思っているが。
あとは、『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』でデビューした佐藤友哉の『水没ピアノ 鏡創士がひきもどす犯罪』(講談社ノベルス)を購入。サブタイトルに「鏡創士」の名前があるので、もちろん『フリッカー式』の続編というかシリーズのようである。『フリッカー式』はわりと面白く読んだので、この人は次に一体どんな作品を書くのかという点で気になっていた。続編というのはある意味期待はずれで、ある意味では期待してしまう。期待してしまうのは、浦賀和宏みたいにシリーズ化というよりは独特な世界を構築してくれるのではないかと思うからである。
全然予定外だったもので、『TRICK トリック the novel』(蒔田光治/林誠人 角川文庫)。テレビドラマ『TRICK』(1作目)の小説版。ノヴェラーゼーションは基本的には読まないのだけれど、1作目は全然見ていないのでちょっと気になって買う。それに、こういうのはあとで手に入れようと思っても手に入らなくなるし。
今、パラパラ見てたら、著者名には蒔田/林の二人の名前と監修堤幸彦とあるのだが、ページをめくった中にひっそりと「ノベライズ 百瀬しのぶ」って書いてある。こんなところにトリック使うなよ。
ということで、まだ読んでない本の話だけで長くなってしまった。でも、買うということは半分読んだようなものだからいいか。実際に今日、読んでたのは『神の子どもたちはみな踊る』(村上春樹 新潮文庫)で、6編のうち4編ほど読んだところ。面白いけれど、最近エンタメ系ばかり読んでいるせいか、読み始めてすぐに自分の中でトーンが落ちるのを感じる。落ち込むとか暗くなるとかいうんじゃないけれど、それでそのトーンが結構いい感じで、今日エンタメ系ばっかりごっそり買ってきたのに純文学とか読み始めたい気分になった。
ポラロイド風しおり
朝食後、『神の子どもたちはみな踊る』(村上春樹 新潮文庫)を読む。出かけるまでに全部は読み終わらなかったので、次に読むことに決めた『水没ピアノ』(佐藤友哉 講談社ノベルス)とともに鞄に放り込む。
昨日も買いすぎたと思いながら今日もまた本屋に行ってしまったのだが、今日探したのは竹本健治である。昨日、竹本健治も探したのだが、あろうことか一冊も見つからなかった。行ったのはABCだったので、本の取りそろえに偏りがある。それで今日はMY CITYの山下書店に寄る。新宿ならいっそ紀伊國屋書店に行けばいいのだが、紀伊國屋ってみかんを売るように本を売ってるような気がして嫌いなのである。
しかし、ここでも竹本健治がないのであった。地元大宮の本屋でもノベルスコーナーに『ウロボロスの偽書』とかよく見かけているのに、それも以前のことで今はないのだろうか。それでノベルスコーナーを見に行ったのだが、やっぱり竹本健治はなくて、代わりに佐藤友哉の『エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室』を見つけてしまった。
鞄に入っている−−平積みもされている『水没ピアノ』は鏡シリーズの三作目だったのである。気づいてしまったからには買わなきゃなるまい。ということで、『エナメルを塗った魂の比重』を購入。巻末の広告を見ると『鏡の中は日曜日』と一緒の発売だったみたいだ。ちなみに、本書はポラロイド写真風のしおりがついている。表は写真、裏返したらポラロイドの裏側と同じになっている。
それから、宮部みゆきの『模倣犯』(小学館)を購入する。村上春樹を読んだら純文学系が読みたくなったとか書いておいて、またもやエンタメ系一本。
ところで、「エンタメ系」なんて書いているが、実は「エンタメ」って言葉は嫌いである。「戦メリ」とか「時かけ」とか(例えが古いね)はまだ我慢の範囲なのだが、長い英語(というかカタカナ英語なのか)を4文字に略するのって、すごく嫌である。
しかし、この「エンタメ」ってのは、その手の略語の中でも異色なんではないかと思う。大抵、長い2つのフレーズからなる言葉をそれぞれの頭二文字をくっつけるっていうのが普通のパターンじゃないかと思う。パソコンとか、ロリコンとか、モー娘。(もーむす)とか、うーん、あんまりいい例が浮かばない。例が浮かばないというのはもしかして頭二文字の連結が多いっていうのは単なる思いこみってことなのか。そうじゃないと思うんだが。ああ、そうそう、デジカメとか、マツキヨとか、ハリポタとか、ほらあるじゃないか。
でも、エンタメって、その法則からはずれている。もちろん他にもそうじゃない組み合わせの言葉はあるのだけれど、エンターテイメントなんだから、エンタときたらそのままテとこないのか。エンターテイメントはそもそも一つの単語だから二つの部分の頭をとるという法則にはあわないのだけれど、それでもエンター/テイメントって音的には切れるからそこで分けるとしたら、エンテイでないのか。
これに倣うと、シュワルツェネッガーはシュワルネとか、アンゲロプロスはアンゲプとか、ロッテンマイヤーはロテンヤとか、ドストエフスキーはドストキとかなっちゃって、ほらなんか気持ち悪くないか。いや、気持ち悪い。その辺がなんかしっくりこなくて、「エンタメ」って嫌いなんで、でもちょっと慣れるように使ってみるかなと思って使ってみたんだけど、やっぱり気持ち悪いものは気持ち悪い。
『神の子どもたちはみな踊る』 村上春樹
村上春樹は好きなのだけれど、最初の「UFOが釧路に降りる」を読んでいるときからなんとなく違和感を感じ始める。なんとなく、コミカルというのを超えてふざけてる感じがするのである。あとの「かえるくん、東京を救う」も読み始めて同じことを感じた。昔から、あしかが訪ねてきたり、まいまいがやってきたり、そういうのはあったのだけれど、あのシュールな世界と較べてなんとなくおちゃらけた感じがしたのである。
でも、「UFOが釧路に降りる」も最後まで読んでみると悪くはない。だったら、もっと違う風に書けないのかなと思ったのだが、リアルに書けとはいわないのだがもうちょっと書き方があるんじゃないかと思った。しかし、この話をあんまりリアルに書くと、渡辺淳一になってしまうなぁと思っておかしくなる。リアルに書いただけで渡辺淳一になるわけじゃないんだけれど、エピソードそのものは大して変わらないじゃないか。でも、それが最後に悪くない、いやちょっといいなぁと思える何かはどこにあるんだろう。まあ、おちゃらけた中に紛れ込んでいるのだとすると、もっとリアルに書けというのは見当違いのことかもしれない。
結局、全部読んでみてそういう違和感を感じたのは、「UFOが釧路に降りる」と「かえるくん、東京を救う」だけだった。しかし、「UFO〜」だって総体的には悪くないし、「かえるくん〜」に至っては最後に泣きたくなってしまった。それと、最初の方の話は読み終わったあとなんとなくしんみりしてしまい、後半の話はなんとなく希望を感じる気がした。
阪神大震災について、当事者でなかった自分はもう過去のことのように普段は思い出しもしない。地震に限らず、今現在がいつまでも当たり前のように続く気になっている。学生時代には、そんな風に当たり前な日常が続くとは思ってなかったはずなのに、今はただ日常に流されて大事なものを忘れているような気がする。そんなことを思った。読み始めたら、落ち込むわけではないのだが、自分の中でトーンが下がったように感じたのはそんな理由だろうか。
(『神の子どもたちはみな踊る』(村上春樹 新潮文庫 bk1/amazon) 2002/3/19)
はてしない物語
竹本健治の本が本屋に見あたらないという話で掲示板とメールでやりとりしていた友人納富廉邦と久しぶりに会う。本屋で待ち合わせ、中華料理店でだらだらと、紹興酒を飲みながら延々と話をする。智久シリーズゲーム三部作と武藤類子の登場する4冊を持ってきてくれるのでありがたく借りる。
話は、きっかけになった竹本健治の話から始まって留まることを知らない。結局、そのあと納富の家まで遊びに行って11時過ぎまで。話題になった単語だけ羅列しておく。
エンタメ系/佐藤友哉/法月綸太郎/幻影城作家/赤川次郎/泡坂妻夫/栗本薫/ハリー・ポッター/指輪物語/小野不由美/『十二国記』/山田章博/横溝正史/江戸川乱歩/角田喜久雄/国枝史郎/『凄ノ王』/『漂流教室』/『ロングラブレター』/楳図かずお/木原敏江/『TRICK』/『ケイゾク』/『黒い仏』/牧野修/宮部みゆき/時代小説/ホラーとミステリとSF/『リング』『らせん』『ループ』/『ジュラシックパーク』/『回路』/『ID4』/ルーディ・ラッカー/大森望/落語/クリコーダーカルテット/恩田陸/山田正紀/京極夏彦/村上春樹/村上龍/『インストール』/『小泉八雲 秘稿画本 妖魔詩魔』/小川美潮/チャクラ/キリングタイム/氣志團/あがた森魚/ヴァージンVS/ムーンライダース/椎名林檎/宇多田ヒカル/hitomi/藤井隆/筒見京平/松本隆/MX/Palm/クリエ/Windows CE/ザウルス/PocketPC/電子テキスト/ファミコンエミュレータ/IXY/che-es!……他もっといろいろ話してた気がする。
結局、6時間弱も話し続けたが話題がつきないまま帰ることにする。
家に帰ってからビールを飲みながらまた明け方までチャットする。なんかみんな酔っぱらっていて、妙にまじめな文学談義になっていき、盛り上がる。
テキストには解が一つしかないんです/いやそれはおかしい。複数の解があるはず/解釈は強制できない/いや、解は解釈ではなくて、解釈は複数あっても解は一つ/解の定義が違ってるのか/解はテキストの論理的構造なんです/論理的構造って?/テキストの論理的構造全体が一つの解なんです/それは解ではなくて式とか/なるほど、式といった方が近いかも
なんて会話。判ってるのか、酔っぱらいども。
今日の株式
株の動きを研究する。株に関してもインターネットはやっぱり便利だ。Webで株の値動きを確認できるだけでなく、購入のシミュレーションができる。たとえばYahoo!ファイナンスにも無料でそういうサービスをしている。
まだ、証券会社のオンラインの手続きは完了していないので、興味ある株の購入シミュレーションをしてみている。シミュレーションなので高い株でも平気で買える。そういう株だと十万円単位で儲かったり損したりして面白いが、実際にはリスクが高すぎて買えやしない。実際に買えそうな株では数千円からせいぜい数万円の利益しかでない。しかしシミュレーションでは、手数料も税金も計算されないので、それを計算すると意外に儲からない。最低でも3千円は手数料と税金でとられる。もちろん金額が大きくなれば、その分税金も手数料も高くなる。
しかし、リスクが高いと面白い。株で大損する人がたくさんいるのもよくわかる。それと、株が上がるか下がるかを推理するのはかなりのデータと分析が必要で、そしてどんなに的確な分析をしたからといって読み切れない結果が起こりうるという予測不可能な現実性がある。政治にも経済にも興味がなかったのに、とたんに経済記事や会社の新製品発表とか合併のニュースとかが気になるようになったのも面白い。
ちなみに今日は祝日なので株式市場は休みだったのだけれど。
「志集」の街頭詩人
突然の誘いで飲んだ帰り、新宿で電車に乗り換えようとすると、「私の志集」という看板を首からかけた女性が立っていた。そして彼女は記憶通りにまったく変わらないかのように存在していた。
新宿を通る人なら誰でも知っているその街頭詩人の存在はずっと気になっていながら、初めて買ったのは何年か前だった。しかし「志集」を買って以来、姿を見かけなくなってしまった。もちろん、いつも新宿を通るわけではないので、ただ巡り合わせが悪いだけなのかもしれないが、あんまり長いこと見かけなかったのでもう辞めてしまったのかと思っていた。
友人とともに一度は通り過ぎたけれど、改札で別れた後もう一度戻って一部買う。「志集 第三十一号 激痛がかくされていた」の「発行にあたり」には、二十歳を過ぎた頃から十九年間立ち続けたことの意味について触れられていた。それだけ長い歳月変わらないはずはないのだが、変わらない存在のように思えてしまうのはそんなに長い間続けているからなのかもしれない。
退屈
最近なんとなく退屈なのだが、それはきっと自分が面白くないからなのだと思い至る。
証券会社からオンライントレードの手続き完了の知らせが届く。早速アクセスしてみるが、資金を先に振り込んでないと取り引きできないことが判る。今日は土曜日だから銀行振り込みも月曜日以降、来週にならないと何もできない。
本屋に行き、例によって竹本健治を捜す。新書でウロボロスなどが揃ってたはずの店に行ってみたが、「基礎論」しか残ってなかった。とりあえず、『ウロボロスの基礎論』(講談社ノベルス)を救出。ついでに京極夏彦の新書版『巷説百物語』(Cノベルス)もかってなかったので購入。
CDショップに行き、CDも何枚か買う。宇多田ヒカルの『traveling』のPVを観ていなかったので、DVDを買って帰る。なるほどよくできてる。とりあえずBGV化してしまうが、BGMと違ってBGVってながらには不向きなので、手が止まってしまいよくない。
宇多田ヒカルはサイトで「光」のPVの出来が優れたヤツだと自画自賛で評判が気になると書いていたのだが、こんなの観ちゃうと気になる。
鬱っぽい
退屈っていうよりも、気力がない。疲れているという理由で今日も一日寝て過ごす。鬱状態。
いまだに『エナメルを塗った魂の比重』(佐藤友哉 講談社ノベルス)が読み終わっていなかった。一冊の本を一体何日かかって読んでいるのか。数えれば判る。すでに6日目だ。いい加減読み終えてしまおうと思って夜は『エナメルを塗った魂の比重』を読み終える。
一作目の『フリッカー式』で、僕こと公彦に「今年で二十八になる姉」と書かれている鏡稜子が高校生二年生として出てくる。1996年である。『フリッカー式』が2007年という設定だったので算数はあってるみたいだ。設定を気にしているわけじゃなくて、『エナメル〜』は『フリッカー式』の時点で構想があったのかということが気になったので。これくらいじゃあんまり関係ないかもしれないが。
『フリッカー式』が妹萌えから始まって、アニメ、漫画、ゲーム、音楽のコラージュでできあがっていたけれど、『エナメル〜』ではさらに過剰になっているような気がする。気がするというのは、『フリッカー式』でどれくらいそういうものが含まれているか忘れてしまったからだが、今回読んでいてうるさいくらいに感じたからだ。(と思って、『フリッカー式』の読後感を探してみたらここでも「うるさい感じがする」と書いているではないか。)
そういうオタク的風俗に加えて、今回はいじめが話として出てくるのだけれど、これも過剰な感じがある。『フリッカー式』ではも、最初大槻涼彦なる人物がでてきてビデオを見せて衝撃的な事実を見せる訳だが、今回はビデオというまとめた時間でなくて繰り返し繰り返し続くのがだんだん不快になってくる。
構成は、前作同様にそういう過剰な情報の中で複数の事件が並行に進んでいく。大きな話の柱として、いじめ、人食い、密室殺人、超能力、ドッペルゲンガー、コスプレイヤーというものがあって、最後に当然のことにすべてが繋がる結末がある。こういう小説に対して常識的な解決を求めるのが間違っているのだと思うのだけれど、ドッペルゲンガーの説明があまりに唐突な感じを持ったのが不満である。それと、やっぱり今回も名探偵が存在しなくて、告白的な結末というのがなんとなく物足りない。ある意味では鏡稜子が探偵といってもいいのかもしれないが。そういう意味では『フリッカー式』も鏡稜子が探偵だったのか。
囲碁か将棋か
出かけるのに竹本健治のゲーム三部作を持っていこうと思い、裏表紙の作品一覧を確認すると『将棋殺人事件』『囲碁殺人事件』『トランプ殺人事件』の順に並んでいる。『将棋殺人事件』を持って、ふと考える。主人公が囲碁の天才棋士だとしたら、『将棋殺人事件』から始まるのは不自然じゃないか。そこで、裏表紙の作品紹介を見ると、『将棋殺人事件』には、「奇才・竹本健治の幻の代表小説ゲーム三部作「将棋編」堂々の第1弾!」とある。もちろん、『囲碁殺人事件』もは「第2弾!」とあるわけだ。
しかしなんとなくしっくりこない。単行本の発行年月日があるであろう巻末を確認してみる。予想通り、『囲碁殺人事件』は「一九八〇年七月」とあり、第一弾のはずの『将棋殺人事件』の方は「一九八一年二月」とあるではないか。やはり、と思って『囲碁殺人事件』の解説を見てみると、今度は「『将棋殺人事件』(本文庫既刊)を経て『トランプ殺人事件』まで、ひと呼んでゲーム殺人事件三部作」とあるかと思えば、「『囲碁』に続く『将棋』『トランプ』もまた」なんていう矛盾した紹介で話にならない。
疑問は『将棋殺人事件』に作者自身の「文庫版あとがき」があって解決した。三部作は、「発表順からしても話の内容からしても『囲碁』『将棋』『トランプ』の順になっており」、単に文庫化されてなかった『将棋』が最初に文庫化されたという。それなら、裏表紙の作品紹介で「第一弾」とか書くならばそれなりに誤解ないように書いて欲しいものだ、角川さん。
今日のメール
今夜飲みに行くはずが、その連絡が来ないので場所の確認のメールを出すとすぐに返信が届く。「メールが届かないことがあるので届いたかどうか返信を下さい」と書いてある。いつの時代だ。今時、メールが届かないって、それはオペミスだろう。
メールを送っても返信が来なくて変だなと思っていた人からは、携帯メールで長いメールが届く。会社のメールは、外にメールを出す場合、部長にccを入れなくてはならなくなったとかで、返信できないという事情説明のメールだった。別にふざけたメールではないので返信してもそんなに問題はないとは思うのだが。それにしても大変なのは部長さんで、外に送るメールが全部ccで入ったら、とてもじゃないけど読み切れないだろうに。
しばらく音信のなかった友人からメールが届く。会社の個人メール開通とのことなので、即返信するがメールボックスがないというエラーが帰ってくる。おいおい。と思っていたら、返信が届かないという多数の苦情があったとかでメールが再送されてくる。若いやつに設定させてるのでこんなことになると言い訳が。
かと思えば、会合のお知らせメールが届くが、文面は堅苦しく打ち合わせの日時調整メールの体裁なのだが、メンバーが飲み仲間のメールが届く。是非出席いたしますと返事をしなくては。
今日はそんないつもと違うメールがいろいろ届いた日。
前回までのあらすじ
なんとなく書きそびれたまま5日経っていたが、振り返ってみてもあんまり大したことをしていないのでまとめて書く。
竹本健治の『囲碁殺人事件』(角川文庫)と『将棋殺人事件』(角川文庫)を読み終え、『トランプ殺人事件』(角川文庫)を読み始める。
あいかわらず、本屋に行くと竹本健治を捜すのだが見あたらない。古本屋なんかにも行ったのだが。
出先で手持ちの本を読み終えてしまい、『鳥姫伝』(バリー・ヒューガード ハヤカワ文庫FT)を購入、冒頭だけ読んで中断。世界幻想文学受賞作で、中国を舞台にしたファンタジーらしいのだが、作者がアメリカ人なので結構嘘中国らしい。読み始めて、まだ物語が動き出す前でなんとなく乗り切れないまま、竹本健治が気になって中断。『トランプ殺人事件』の後に読むつもり。
『BASARA』(田村由美 フラワーコミックス)を一気読みしようとして、3巻まで読んで中断。いろいろあって人に一度に全部借りたので、読んで返さなくてはならない。
宇多田ヒカルのビデオクリップ集『UH2』を観る。音楽はあと『huma-rhythm』(hitomi)、『PRISMIC』(YUKI)、『Britney』(ブリトニー・スピアーズ)とか聴いている。あんまり統一性ない。
XTCの4枚組BOXが出たはずなのだが、近所のWAVEにはなかった。
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