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2002年12月後半
週の初めから多忙。夜は生暖かい風が吹いているなぁと思っていたら傘を持っていないのに雨が降ってきた。幸い終電を逃したのでタクシーで帰宅し、濡れずに済んだ。そんな一日なので今日もWebくらいしかネタがない。しかもメモ代わりに既に掲示板に書き込んだものだがとりあえず書いておく。
『幻想文学』終刊。『幻想文学』は、それほどウォッチしてた雑誌でもないし、買ったのも1回くらいしかないが、こういう雑誌があるということ自体で安心していたところがあって、なくなってしまうというのを聞くと今更ながらすごく残念に思う。とたんに買おうかなどと思ってしまうのだが、普段からそうやって買っていれば終刊にならずにすんだのかもしれない。僕の買う一冊では何も変わらないが、そんな風に思う人はきっともっといるはずなのだから。
「インディ・ジョーンズ」最新作情報。第4作は2003年夏と聞いていたが、最新情報では脚本が完成、2004年の撮影で、2005年の公開。ずいぶんとまぁ先の話になってしまったもんだ。『マイノリティ・リポート』も評判悪いし、その前の『A.I.』も評判悪かったし、スピルバーグ監督は大丈夫なのか。それと、ハリソン・フォードがインディ・ジョーンズを演るとのことだが、もちろん他の人が演っても納得できないけれど、ハリソン・フォードだって「最後の聖戦」から10年以上経っている。今60歳だからさらに3年後には63歳。アクション映画になるのかなぁ。
『回路』のリメイク。『エルム街の悪夢』や『スクリーム』のウェス・クレイヴンが、黒沢清の『回路』をリメイクするというのだが、果たしてどうなのか。ウェス・クレイヴンはいいのだが、ただ『回路』の怖さと方向性が違うような気がする。『リング』のリメイク版は、観ていないのだが、原作鈴木光司とテロップに出るがむしろ映画『リング』が原作になっているという話だ。リメイクなんだから当たり前ともいえる話だが、『回路』で同じようにリメイクされるといっても、全然イメージがわかないのだが、果たしてどんな映画になるのだろうか。興味津々である。
掲示板に書いてないものも一つ。
小津安二郎生誕100年記念プロジェクト。いろんなところで上映とかあるみたいである。DVDも発売。2003年9月から12月にかけて全作発売予定だが、価格は未定。値段は買えるような値段で考えてほしいもんだ。そういや、今年は横溝正史生誕100年だったので、年頭に横溝正史全作読破計画を立てたのだが、結局あんまり読んでない。
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今日もまたハードな一日。夜中華料理店で飲んで、タクシーで帰ってへろへろ。困ったことに、何も書くことがない。餃子がうまかったと書くには店の紹介をしなくてはならないが紹介するほどの店でもない。飲みに行ったのは、飲みに行こうかぁという軽いノリではなくて、飲みに行かなきゃやってられない事情があってのことで、これもまた書くべきことでない。いや書くこともできない。
終電で自宅まで帰れる時間を過ぎてしまい、のんびりと各駅停車で読書をしながら家に帰る。おかげで、長いことかかったが、ようやく『陋巷に在り 7 医の巻』[bk1][amazon]を読了。非常に面白かった。医術を生業とするものが新たな登場人物として登場し、子蓉との激しい戦いが描かれる。しかしなかなか結論は出ない。8巻は2月発売予定とのことで、それまで待てるかどうか。単行本で読んじゃうかなぁ。
やっぱり、家に帰ってすぐには眠れない。なんだかんだやっているうちに3時。風呂に入って4時前に寝る。この生活サイクルはきつすぎる。
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猫づくし。
ブログを何気なく見ていたら、猫を見つけた。可愛いので、メールで猫好きに知らせたら、即、別の猫のURLが送られてきた。それに対抗して、猫たちとか猫たちが別の人から送られてきた。面白い。
今日の楽しみはそれくらい。
あと、恩田陸の『不安な童話』(新潮文庫 bk1/amazon)を読み始める。
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昨日、「面白い」と書いたのは、猫のFlashが面白かったということではないのでちょっと補足。猫のFlash自体も面白かったり可愛かったりしたのだが、メールをしたらすぐに反応があって、別の情報(URL)が届いたということ自体だった。最近、なかなか暇がないので、Webを見ていて面白かったことをメモ代わりに掲示板にリンクして置いたりするわけだけど、こっちでもそういう反応があったらなぁ。
昨日は昼間ちょっとした大事件があって、夜はそれもあって半分憂さ晴らしの飲み。しこたま日本酒を飲んだので家に帰ってから人間として機能してなかった。火曜もそうだったのだけど。そんなわけで「うたかたの日々」の更新も無茶苦茶だったりする。手ひどい状況のコンテンツが一時的にはアップされていたりする。まあ、あまりに深夜更新なので見つかっていないことを祈る限りである。
今日は食事をしようという名目で軽く飲む。昨日までの憂さ晴らし飲みと違って、本の話なんかもできて、面白かった。でもこう連日飲んでいると、読書の方は進まない。
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本日は忘年会だった。始まりは人が集まらなくて、制限時間2時間ぴったりだというのに、なかなか始まらない。そして鍋という席移動が難しそうなメニューなのに、始まるとすぐに人が動き始め、うっかりトイレに立つと席がなくなり放浪の旅にでることになる。短時間なのに妙な盛り上がりをして、終わりの時間には結構完成度高くできあがった。何故か二次会に行くはずが、事務所に向かい、デザートを食べたり仕事をしたりというイレギュラーな展開になる。
「どこかに行こう」といっても誰も動かないので、3人で先に出たのだが、何故か「では解散」ということに。でもそれでよかったみたいで、家に着いたらWebを見たり「うたかたの日々」を書こうとしていたはずなのに、いつの間にか眠っていた。
『罪と罰』(ドストエフスキー 江川卓訳 岩波文庫)を読む。『罪と罰』は訳者の違うものを新潮文庫で2種類、岩波文庫で2種類持っている。岩波文庫の江川卓訳は間違えて買って2セット持っていたので、昨日『罪と罰』を読みたいと言っていた人にあげるため持って出た。それで、ついつい電車の中で読み始めてしまったのだ。読みかけの『不安な童話』(恩田陸 新潮文庫)を読み終えたら続きを読むかもしれない。
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最近、ほぼ習慣といっていい、土曜日の午後のDVD鑑賞。『ロード・オブ・ザ・リング エクステンデッド・エディション』をまだ観ていないのだが、ボリュームがあるのでついつい先延ばしにして、今日は『トゥルー・クライム』を再鑑賞。前に観たときの感想はここ、劇場公開したときの感想を探したら、今はなき電影掲示板に書いたとあるので、以下の感想にはすでに流れている過去ログから引っ張ってきたものも再録しておく。
あとは今日もサイトのリニューアル作業。試行錯誤で、とりあえずトップページだけは新しいレイアウトができた。あんまりサイトのリニューアルばかりに凝っているのも本末転倒で、読書の方が全然進まない。こんなことでは、外枠が出きても、肝心の中に書くことがなくなる。
書くことがないので、Webを見ていて気になった映画へのリンクとか。『Jam Filems』という7人の監督による7つの物語(プラットパーク、@nifty CINEMA)。7人の監督のうち僕が気になるのは篠原哲雄と行定勲である。28日からなので休み中にでも観に行きたい。
みすらぼのブログにファン度調査いろいろが投稿されている。「本格ミステリファン度調査」から始まった類似のアンケートがリストアップされているので便利。
飲んで帰った話ばかり書いているより、こういう情報へのたとえ単なるリンクだけだとしても、その方が面白い気はするのだけれど、このコーナーの役割としては違う気もする。掲示板だと手軽にコピペでリンクも書き込めるし(「うたかたの日々」は、実は面倒くさい手順を踏んでいる)、掲示板の方を活用しようと思うが、掲示板はやっぱり機能的にそういうことに便利ではない。みすらぼのブログとか面白いけど、ブログツールでいいのがあれば使いたい。
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(公開時の感想)
イーストウッドの映画ということでのこのこ映画館へ。今日も映画の内容がどんなのか全く知らずに行く。映画をたくさん観てると、予告などで知らず知らずに情報がはいってしまう。
このあいだの『ゴースト・ドッグ』もそうだったけど、久々に何も知らずに映画を観られる幸福を味わえた。
というわけで、やっぱりイーストウッドはよいよ。と書いて終りにしておくのが正しいのかもしれないが(笑)、ちょっと書く。
イーストウッド扮するエベレットは女と酒にだらしない新聞記者。偶然から、コンビニで妊婦を殺した殺人犯の死刑執行前のインタビューを行うことになる。が、その事件の話を聞いた時、自慢の鼻が何かをかぎつける。犯人を無罪だと確信してエベレットは調査をはじめる。しかし、死刑執行はこの日の午前0時。果たしてエベレットは事件の真相を明らかにできるのか、死刑囚を死から救えるのか。という感じの話。
真実は無罪なのかは観客にも明らかになってないので、謎解きもちょっとある。ちょっとカーチェイスはあるが、派手なアクションなどはないのに最後までハラハラする。ダメな男の悲哀もなかなか。
[ 『トゥルー・クライム』 監督C・イーストウッド 銀座シネパトス(上映期間中の館名はシネマグナム) 2000/01/10 ]
(今回の感想)
と、ここまで。ありきたりのことしか書いてないね。でもイーストウッドらしい映画なので観て損はなし。劇場から入れて3回目だが毎回観ていて発見がある。(単に、記憶力が落ちて忘れているだけではないと思う。)登場人物たちの生活などが、物語と直接関係ないようなエピソードが出てきて、日常から切り取られたようにこのシーンの背景には彼らの日常生活があるのだ、というような感じが好きだ。最近、小説を読んだり映画を観ていて、そういう物語に完全に出てこない日常を見せる作品にすごく惹かれている気がする。別の例え方をすると、カメラのフレームに入りきらないけれど、そのフレームで切り取られた先にあるものが想像つくようなフレームの切り方みたいな、そういう描写の仕方とか場面そのもの、そういうのが好きだ。『トゥルー・クライム』を観ていて、そういう欲求をすごく満足させてくれた。
画像を引っ張ってこようと思って、amazonをアクセスしたら、近々1500円の廉価版が出るらしい。
[ 『トゥルー・クライム』(→amazon) 監督C・イーストウッド DVD 2002/12/21 ]
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CLUB eggsiteに原マスミのライヴを聴きに行く。知り合いの人にも何人か遭う。そのうち久しぶりにお会いしたがくさんとはライヴの間ご一緒させていただいて、いろいろ話をする。
弾き語りだったのだが、今日は妙にテンションが高いというか、アレンジもちょっと変わっていてすごくよかった。その分MCはいつもり少な目で、ぼそぼそと話しかけて「まあいいか」と話を途中でやめたりすることが多かった気がする。そういう話し方もいつもの原さんといえば原さんなのだが、そういう会話もあり、長々と話が続く場合もありというのが普段の感じで、なんとなく話が少なかった気がした。アンコールは二回、二回目は客電が点いても鳴りやまない手拍子に原さんがでてきたので、挨拶だけで終わるかなと思ったら歌ってくれた。
原さんのMCでも話していたのだが、eggsiteの昼の部でラ・カンパニー・アンという演劇ユニットの公演があって、音楽をZABADAKがやっていたらしい。そのZABADAKは11月7日にニューアルバム『SIGNAL』を発売したらしい。(ということで、帰宅後早速amazonから注文する。)1月11日にはなかのZERO大ホールでライヴもあるらしい。
帰りの電車で『不安な童話』(恩田陸 新潮文庫)を読了。
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恩田陸という作家の書く小説についてはやっぱり人によって好き嫌いがあるみたいで、それは書いている小説がジャンル小説であるのに、ジャンル小説の枠組みに必ずしもはまらないような展開や結末を持ってくるのが理由だと思う。特にミステリなどは小説の持つ枠組みというか足かせが大きいわけだが、あえてその枠にはまらないような、ある種物語として破綻しているようなところがある。好きな者としては、その辺が恩田陸をついつい読んでしまう理由なのだが。
宮部みゆきなどもミステリに分類されている作品でも、犯人はかなり早いうちに明らかになってしまう作品を書いたり、むしろSFに近いものを書いたりしている。やはり、ジャンル小説の持つ枠組みを外れて書いたりしているのだが、宮部みゆきはエンターテイメントの王道を行くというか、まとまった感じがする。それに対して、恩田陸はなにか中心からあえてずらしたようなところがある。
面白いことに、いつもの恩田陸だと辿り着くべき結末はここだったのか、というようなずれを感じるのだが、この作品ではちゃんとした結末に辿り着くのだが、そこで立ち止まらずにふらふらと横道にそれてしまったような余韻がある。具体的にいうと、生まれ変わりがひとつのテーマになっていて、単なるミステリとはちょっと雰囲気が違うのだが、結末には純然たるミステリとしての結末を迎える。しかしそこで終わらずに再び迷路に迷い込むようなエピローグがついているのだ。この辺りがやっぱり恩田陸らしくて好きだ。
結末がきちんとしている分、誰でも楽しめるので、恩田陸に馴染めない人にも勧められる恩田陸入門編という気がする。このエピローグはいらないよ、と思う人は恩田陸作品とは合わない人だ。
[ 『不安な童話』 恩田陸 新潮文庫(bk1/amazon) 2000/12/22 ]
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天皇誕生日。世の中は年賀状作成日になっているようなのだが、ここ数年年賀状書きに対してやる気が起こらないので何もしていない。年賀はがきすら買っていない。年賀状は、こちらから出さないと一気に減るのだが、こちらが義理を欠こうがなんだろうが送ってくれる律儀な方がいらして、毎年そういう人から頂くたびに心が痛む。
去年は「年賀状を出さない主義」だと居直ってみたのだが、それが相手に伝わるわけでもなければ、不義理であることには変わりない。今年もすでに喪中につき云々という葉書が何通か届き、こういう方がいらっしゃる以上せめて頂いた方への返信くらいしなくちゃまずいなとか思ったりする。極めつけは、「年賀状を出したいので、住所を教えてください」とメールをくださった方で、しかもこちらの住所を返信したのである。困った。
『ロード・オブ・ザ・リング エクステンデッド・エディション』はそのままに、あと他にもDVDを買ってしまったのだがそれを観ずに、『スペースカウボーイ』(クリント・イーストウッド監督・主演)を観る。2回目なので感想は省略。NASAで初の宇宙飛行士として人間の代わりにチンパンジーを送り込むことに決まって、イーストウッドたちは宇宙に行けなくなるのだが、その失望感などはこちらも名作の『ライトスタッフ』を観てしまうとちょっと物足りないが、それはしょうがないか。
あとは夕方少し仕事をした他は、サイトの更新とか。サーバを借りてドメインを取ろうと思っていたのだが、ここへ来てわざわざそこまですることはないだろうかと迷う。一両日中に決断の予定。
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クリスマスイブには相応しくないが、21時半過ぎから仕事の仲間と3人で饂飩屋で飲む。気心の知れた仲間とそれなりに楽しく過ごす。それにしても時間も遅かったとはいえ、明らかに店はガラガラだった。もしかして店員の方が客よりも多かったんじゃないかと思う。
帰りの電車で『茶と黒の幻想』(恩田陸 講談社)を読み始める。『海辺のカフカ』と交換に友人に借りたのはもう1ヶ月以上前だった。いい加減読まなくちゃと思って、今日出かけるときに持って出たのだが結局読めたのは帰りの電車の中だけだった。
昨日から螢を聴いている。
原マスミのライヴを聴きに行ったとき、がくさんに最近注目のミュージシャンがQuinka, with a Yawnだという話をしたのだが、そんなわけで家に帰ってから昨日の夜までずっとQuinkaをヘビーローテで聴き続けていたら、曲が少ないせいかあんまり繰り返し聴くうちに違うものが聴きたくなって、そのときに何故か聴きたくなったのが最近聴いていなかった螢だった。Quinkaと螢が似ているわけじゃない。むしろ曲の雰囲気とかは対極にあると思う。でも何か通じるものがあってふと思い出したのかもしれない。
ちなみに、Quinkaの川上美智子とは、元エスレフノックのMIKKOだというので、昨日、エスレフノックのCDをamazonから1枚注文してみた。注文したつもりでカートに入れっぱなしだった『SIGNAL』(ZABADAK)も一緒に注文。今夜、発送済みのメールも届いた。
螢の方もCDを注文する。久しぶりに螢の公式サイトを見に行くと、新しいアルバム『螢』を制作中とあり、HPで予約購入を受け付けているというので申し込む。こちらは折り返しメールで振り込み先などの返信があって銀行振り込みをするらしい。
bk1から、評者一覧のリストに登録したいというメールが届いたのでOKの返信をする。とはいえ、『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』1作しか書いてないので、なんか申し訳なく思って、追加で1つ投稿しておく。
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一日が3時間くらいで過ぎ去ってる気がする。
22時半まで仕事をして帰る。帰りの電車の中で、『黒と茶の幻想』(恩田陸 講談社)を読む。読み始めるとすぐに眠くなってしまう。つまらないからではなくて、すごく面白いのに字を読むと眠気がやってくる。そんなわけであんまり進まない。
amazonから『eb - esrevnoc better』(esrevnoc)と『SIGNAL』(ZABADAK)が届く。早速、『eb』をかけてみる。Quinka, with a Yawnがもっとはじけて明るくなったようなガールポップという印象。楽しく聴くけど、全然まだ聞き取っていない歌詞が奥深そう。
螢のCD予約もメールの返信が届く。振り込みに行かなくては。
そんなこんなで今年もあと6日しかない。仕事はあとたった2日。休みが来るのが嬉しいよりも、この先が心配というのも少しある。
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でかけるのに荷物を持ちたくなくて、『黒と茶の幻想』を置いて出かける。かわりにポケットに入れたのは『探偵ガリレオ』(東野圭吾 文春文庫)。午前中はトリトンスクエアに出かけて、昼飯もそこで食べる。夜は忘年会で新宿へ。『探偵ガリレオ』は帰りの電車で読むが、ほとんど進まない。
23時くらいには家に着く。飲んで帰った方が早く家に着くというのも妙なことだ。音楽を聴きながらWebを見たりのんびり過ごす。
BGMは『SIGNAL』(ZABADAK)。なかなかいい。ただ、あれっと思ったのは吉良知彦のヴォーカルの曲が多いと感じたこと。ZABADAKで、吉良知彦自身はそんなに歌ってなかった気がするのだが、前作の『COLOR』とかどうだったっけ。
仕事はあと1日。
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『探偵ガリレオ』(東野圭吾 文春文庫)を引き続き読む。タイトルからガリレオ・ガリレイが登場する歴史ミステリなのだとばかり思っていた。だが、探偵役の人物が科学的知識で事件を解決するもので、そこがガリレイなのだろう。しかし本文中で、あだながガリレイだとかそういう記述も全くない。短編集で、5編のうち2編しかまだ読んでいないのだが、謎が科学的に解明されるという趣向は面白いのだが、解説されてそうだったの、そういうものなのと納得して終わってしまうのでちょっと物足りない気がする。
ブックファースト神田店に寄り、CDとDVDを買って、ついでに、ブックファーストのポイントカードを作る。CD、DVDは10%、書籍は5%分のポイントがつくという。
家に帰って、買ってきた『月天心』(一青窈)を聴く。田中さんに薦められたというか、聴かされた一青窈の「もらい泣き」がわりとよかったので買ってみたのだが、他の曲もいい。イラストも一青窈が描いているようなのだが、面白い画だ。この人、一体何を考えているのだろう。
夜、みすらぼの一日限りのチャットに参加してみる。参加者が知らない人−−こちらはサイトを見ていて知っていても、たぶん相手の方はこちらを知らない−−ばかりなので参加に躊躇する。結局、1時過ぎて人も減ってから入った。面白いチャットだった。
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サイトリニューアルをしようといろいろ調べたり作業したりしてほとんど一日を過ごす。
『My Pieces』(原田知世)を聴く。昨日買ってきたもう一枚のCD。今度のアルバムは羽毛田丈史がプロデュースで、ギターの印象の強いアコースティックな感じの一枚である。前作はゴンチチがプロデュースして、そのツアー以来徳武弘文とライヴに廻ったりしていたので、今度は徳武弘文がプロデュースでもするかなと思っていたのだが違った。でも、その辺の路線の延長という感じだった。「恋の法則」という曲がわりと好きだが、この曲は前にカヴァーしていたスザンヌ・ヴェガの曲を思い出す。
『探偵ガリレオ』(東野圭吾 文春文庫)を読み終える。
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不可解な出来事の起こった事件の謎を物理学の助教授が解き明かすという趣向の連作短編集。各短編のタイトルが第1章〜第5章となっているので連作短編と書いたのだが、相互に関係はない独立した短編集だ。そのタイトルは1章から「燃える」「転写する(うつる)」「壊死る(くさる)」「爆ぜる(はぜる)」「離脱る(ぬける)」というシンプルなもので、それぞれ不可思議な出来事として物語の中に出てくるものだ。「壊死る」だけはあんまり不思議感はないのだが。
探偵役の湯川学というキャラもわりといいし、不可解な出来事を科学的に説明するという趣向もいい。けれど物足りなさを感じる。一つ一つのネタが短編に相応しい程度の謎でこれを長編にしても持たない気はするのだが、あっさりしすぎているからだろうか。不可解な謎をもっと不可解に描いてしまって、全くの予想外の明快な解決が来たらもっと面白いんじゃないかという気がする。例えば、「燃える」は突然人の頭が燃え出す話だ。小説中にそういう言葉は出てこないが人が突然燃え出すといえば「人体自然発火」という怪現象がある。そういう話にもう少し膨らませたらどうだろうか。特に「壊死る」と「爆ぜる」については謎自体があんまり謎っぽくないのである。
そういう点では、「転写する」と「離脱る」はなかなか面白いと思う。「転写する」では、不可解な出来事に対する答えは得られるのだが、もっと別の謎が残るような感じがよい。「離脱る」は「幽体離脱」がテーマになっている。難をいえば本当は「幽体離脱」でないという前提で謎を解いていくところか。ただ、実際世の中では「幽体離脱」など誰も最初から信じないだろうから、「幽体離脱」があり得ないという前提でものを考えていくのはとても自然なことかもしれない。「転写する」はそういう点でも現実的な話の展開でありながら謎を最後まで残していくところは素晴らしい。
でも全般的にいうとちょっと物足りないと感じた。シリーズなので、今後の作品に期待。
[ 『探偵ガリレオ』 東野圭吾 文春文庫(bk1/amazon) 2002/12/28 ]
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今日は今年最後の映画を観に行こうと思っていたのだが、起きてみるとサイトリニューアルの方に頭が行ってしまう。今日中にこれだけやってしまって、そのあと出かけようなどと考えて、あることを始めたのだが始まったらもう誰も止められない。気がついたら夜中だった。そんなわけで、新年と同時にではなくて、年明けしばらくしたところでリニューアル決定。
映画も観てなければ、読みかけの『黒と茶の幻想』(恩田陸 講談社)もほとんど進んでいないので書くことなし。そして、大掃除もしていない。
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食事をしながらテレビで放映していた『若草物語』をなんとなく観る。映画も観ていなかったし、原作も読んでいないのだが、ちょっと映画は話の端折りすぎという感じがする。原作を読んでみたくなる。原作を読んだ上で、ウィノナの演じる夢見勝ちなジョーとかを映像で観るというのはよいかもしれない。
『若草物語』は途中にして、映画を観に出かける。お出かけのお供はやはり荷物になる『黒と茶の幻想』を避けて別の本を選ぶ。結局、『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』(西尾維新 講談社ノベルス)にする。
渋谷に行き、シネセゾン渋谷で『CQ』(監督 ローマン・コッポラ)を観る。いわずとしれたフランシス・フォード・コッポラの息子だ。SFスパイ映画「ドラゴンフライ」を絡めた映画ということで、ポスターは『バーバレラ』(画像あり)みたいなノリである。なかなか面白かったのであとで感想を書くつもり。
続けて、『AIKI』を観ようと思って新宿へ移動する。時間が小一時間あるので渋谷ではブックファーストと紀伊国屋、新宿ではABCをぶらぶらと見て廻る。沢山の本を見ていろいろ読みたくなって、無駄な時間を過ごしていることに焦りを感じる。もっと効率よくいろんなものを読みたいのに。
テアトル新宿に移動する途中で三越の前を通ると、「 野村 辰寿 ストレイシープ ポーの世界展」をやっているのを見かけ、急遽寄り道。映画の時間に合わせて時間をつぶしたあとだったのであんまり時間はなくてさらっと見て廻る。原画の展示と関連商品の展示即売をしていた。(12/28〜1/5まで。最終日は早く終わるらしい。)ストレイシープポーって何?という方には、ワツニュ12/20へどうぞ。年末年始に再放送するらしい。
そして『AIKI』(監督天願大介)を観て、食事をして家に帰る。『AIKI』も面白かった。ともさかりえってこの間の『クロエ』に引き続き、なんかいいなぁと思った。
感想その他、あとで追記予定。ということで、その他はblogのことだったのだけど、長いのでタイトルをつけてみた。感想の方はまだ書いてないので、明日更新かな。
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ほとんど私信モードで。編集後記でサイトのリニューアル後はblogですかと訊かれているが、blog形式ではない。理由は、blogいいなぁと思っていてblogみたいなものにしようかといろいろ調べたのも事実なのだけれど、結局「うたかたの日々」はblog形式にはそぐわないと思ったから。blog騒ぎのときに、blogと同じようなものは日本にも既にあって、日記がそれにあたるみたいな話があったけど、日記はやっぱり違うなと思ってる。前に書いたけど、たぶん日記も含むサイト全体でblog的なことをしている人はたくさんいるし、blogツールを使って日記を書くこともできると思う。でも「うたかたの日々」はそうならないというのは、僕の書いているものが他人に意見を求めていないような態度だからである。
もともと「うたかたの日々」は、(正確にはもうちょっと複雑な変遷を辿ってるのだが)その前は「露地日記」という名前でニフティの会議室に書いていたものだ。つまり、会議室の一発言として書いていて、レスもつけられるし、発言自体をリンクしてつなげてあった。そういう意味ではパソコン通信という狭い世界でblogと似たようなことができたわけだけど、コメントなんてほとんどつかなかった。今みたいに日常の話はもっと少なくて、どちらかというと評論調で「である」体で書いていて、内容も映画を観る人が少ないところで映画の話を書いていたりしている自己満足的なものだったのでコメントのつけようもなかったわけだ。今は日常的な話が多くなっているけど、それでもコメントのつけようがない点についてはあまり変わらないと思う。
もう終わってしまったけど、森博嗣の日記などは「ですます」体で書いているだけでなく、読者に対して話しかけるようなところがあって、思わずコメントしたくなるようなうまさがあったと思う。自分でも内容によってはときどき「ですます」体で書いてしまうこともあるのだが、やっぱり気に入らなくて「である」体に統一する。別にコメントを拒否する訳ではないのだが、語りたいときに「ですます」体は冗長だ。しかし、「うたかたの日々」がblogになった場合、気の知れた友人やコメントしようという奇特な方がコメントをつけてくださったとして、それに対して「である」体を続ける訳にはいかないだろう。仮に元発言は今まで通りで、それに対するコメントによって文体を変えていくことはできると思うのだけれど、コメントに引きずられて徐々に当初の姿勢を続けるのは難しくなるだろう。
また、blogにするなら1発言は1テーマにすることが、別に絶対条件ではないと思うが、わかりやすくするためには必要なことじゃないかと思うのである。日記は1テーマに収まるとは限らない。であれば、1日に複数発言すればいいのだが、その発言にも入らないような些細な出来事とか書きたいのが日記だったりして、そうすると日記的要素の強い「うたかたの日々」はblog的ではないんじゃないか、というのが今思っていること。
最近、blogに興味を持つより前だが、「うたかたの日々」でタイトルをつけなくなった。これはこんな経緯からだ。何かしらテーマがあるときにはタイトルをつけられるのだが、日常生活だけを書いているときにはタイトルは難しい。ありきたりのタイトルだとだんだん同じものになってしまうので、取り立ててテーマがないときには、書いてあることの一部をもじったようなタイトルをつけるようになった。しかし、それはその場では面白くてもあとから見たときに内容が判らないタイトルになっているのだ。これは、インデックスにタイトルを使おうとして中身が判らないことに愕然として初めて気づいたのだった。
リニューアルでblog的なものにしない理由はだいたいこんなところ。でもblogみたいに意見交換とかしたいので、ほとんど書かれないのでやめちゃおうかなと思うことの多い掲示板をもうちょっと気軽に使おうかと思っている。サイト全体としては、もうちょっとインタラクティブにできたらなぁという思いはあるので。サイトのデザインそのものは、ポータルっぽくまとめている。(実は一度間違って更新しちゃったので、気がついている人もいるかもしれない。)
とはいえ、まだまだいろいろと悩んでいるところだけどね。
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いよいよ今年も今日で最後。今年は特に異常なくらい速く過ぎさった一年だった気がする。夏からいきなり年末という感じ。まだ気持ちがついてこない。全然大晦日という感じなし。もう蕎麦も食べたというのに。
今日は何をしていたかというと、遅ればせながらの大掃除。でも、大掃除というよりは、ただの部屋の掃除と机の上の整理だけで終わってしまったような気がする。ちょっと視線を逸らすと山積みのDVDとか目にはいるし、とりあえず後ろは振り向いては行けない。怖いものが見えてしまいそう。
昨日観た『CQ』と『AIKI』の感想はまだ書けてないが、先に今日の分を書いててアップしておく。みなさん、よいお年を。
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